重工業における生産管理の戦後史を考える一冊

 上田修『生産職場の戦後史-戦後日本における重工業の発展と技術者・勤労担当者の取り組み-』 

                                   

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 戦後日本の産業発展を象徴するのは自動車産業と電機産業であろう。そしてそれらの先蹤を告げたのは造船業と鉄鋼業である。本書は、造船業と鉄鋼業に焦点を当て、その生産力と競争力をもたらした管理の仕組みを明らかにすることを目的とする。

 本書の主たる編別構成は以下のとおりである。

  序章 問題関心・課題・対象

 第一部 生産に流れをつくる-造船業における多量生産体制の形成と生産設計

  第1章 工数統制から生産設計へ

  第2章 相生における改革

第二部 従業員として組織する-石川島重工における従業員制度の再編問題

第3章 勤労体制の整備と従業員制度の再編-資格制度改正問題 

第4章 職長制度の導入-現場管理制度の再編

第三部 生産に自己改善的契機を組み込む-八幡製鉄における管理方式の展開と計画値管理

第5章 標準値の形成と戸畑管理方式

第6章 君津管理方式の形成と計画値管理

結語

 

                  1.

 序章では関連学説のレヴューを行っている。戦後の労働・労使関係研究を振り返り、1970年代までの研究は労働市場に主眼が置かれ、職場の問題に関心が薄く、1980年代の生産システムや熟練の研究では職場に関心が向いたものの管理のありかたには研究が及ばなかったと指摘している。それらを受けて本書では製造業の管理のありかたの解明が主題となることを告げている。

 第1章では、戦後間もない時期の造船業をリードしたNBC呉の技術変化と工程編成の革新、生産技術の先進性を明らかにしている。呉海軍工廠の流れをくむNBC呉は、戦中に始まる工廠での鋲接工法から溶接工法への移行、ブロック建造法の導入を受け継ぎ、戦後には生産設計(製造の流れに沿った工程の編成)の採用、実績による管理から計画値による管理への移行を志向し、その後の造船業の生産管理の基を提供した。これらが明らかにされている。

 第2章は、1960年代までの播磨造船(相生)の技術変化と管理をとりあげる。播磨造船は戦中から呉工廠との技術・管理方式の共有関係が深く、また戦後造船業のモデルの一つとも目される石川島重工と企業合同する(1960年)という歴史的事実から推して、造船業の技術と管理の発展の結節点をなす存在であるとされる。播磨造船は戦後初の全溶接船を建造するくらい技術面でも管理のありかたにおいても革新性に富み、生産設計を採用し、職場編成や職場区分においても「職区」という考えをうち出し、職区を単位に工員上がりの現場監督者を「職長」として配置するという職場管理と人材形成の新たなありかたを提示した。ところが職員と工員との間の序列の組みかたや職長と学卒管理者との分担関係に混乱が生じ後の課題をのこすことになった。それはその後石川島重工の課題として受け継がれることになる。

 

                 2.

 第二部は第3章と第4章からなり、第一部でみた造船業における技術変化と職場編成の変化が、同じく造船業の石川島重工の職場管理にどのようなかたちで影響したかを分析している。

 第3章は石川島における従業員の序列制度(資格制度)をとりあげる。同造船所では人事労務管理の立案を担う勤労課が組織として整備され、勤労課は戦後労務管理の命題の一つであった工・職の身分制の解消と当時見込まれた生産増に見合う労働力の確保、それを支える処遇制度の考案を託された。立案過程の当初は、従業員序列(資格制度)と職場の役割・分業制度と処遇制度の三つを強く連動させる方向が打ち出され、1950年の案では工・職を差のない同一のランクに位置づける職階制と職階給制度が考えられた。ところがそれはラジカルさ故に実効性に疑問符が付され挫折する。それを受け、労働組合の意見などを容れ、上記三要素の連動性を緩めることになる。そして1950年代初頭に実行案となったのは、工・職の序列区分を一定程度残しつつ、工員層の階層数を少なくし工員の昇進を容易にすることにより工員の意欲を引き出す方向性であった。それは当初案からはかなり離れたものとなり、またそののち世のなかに一般化する資格制度とは異なるものであったとされる。

 第4章は石川島の職長制度をとりあげる。同所の職長制度は上記の1950年代初頭の諸制度と同じ時期に設けられた。ところが上記の制度が熟さなかったこともあり実際の職長候補には単純にベテラン工員が格付けされることが多く、職長制度の実はあがらなかった。結局、職長制度が機能するのは、新制高校の卒業生が適齢期に達することを見越して整えられた職長向け層別教育が浸透する1960年頃を待たねばならなかったとしている。

 

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 第三部は対象を鉄鋼業に移す。第二部で観た管理が比較的広い意味での管理であったのに対して、第三部の管理は原価や利益の維持に直接関わる数値による管理に焦点がしぼられる。対象となるのは八幡製鉄であり、同社は新規の製鉄所の建設を機に管理方式を革新するという歴史をもっており、本製鉄所(八幡)の実績値による管理から八幡製鉄所戸畑製造所の標準値による管理へ、さらに君津製鉄所の標準値による管理へと管理の方式は進化したとされる。

 第5章は戸畑製造所(1958年開設)をとりあげる。その管理のありかたは戸畑式管理と呼ばれるが、鉄鋼生産の製造と管理が全社-製鉄所-工場-工程からなるとするなら、戸畑よりも前の実績値による管理とは、現場の生産管理の情報が工場レベルまでしか行き来せず、全社・製鉄所は下からあがってきた情報を調整するという段階にとどまっていた。それに対して戸畑方式とは、ラインとスタッフ部門を切り分け、製鉄所レベルにおかれるスタッフ部門に生産管理情報を集約し、さらに工場(長)=課長から指揮命令を受ける現場職制としての「作業長」を新たに配置し、現場と工場とを連結させる体制をとったことを指す。生産管理の標準は課長の意思をもとに調整・決定された値が用いられることになった。しかし当初は作業長に人材を得られず造船業に似た状況であった。現場の作業集団の核となる世代の交代とそれら(作業長候補者)に対する層別教育が整備される1960年代前半になり作業長による管理は実質化したとされる。

 第6章の対象である君津製鉄所は1968年の稼働である。君津では集約される生産管理情報は原価にとどまらず歩留り、設備稼働率、作業率などに拡がり、それらは全社-製鉄所-工場-工程の各レベルをコンピュータを介して行き来し、それらの目標とされる数値は上部から計画値として承認されておろされてくる仕組みがつくられた。計画値を受ける工場・工程は実行責任を負うとともにスタッフ的要員も配置され、計画値と実績値とに差がある場合は各レベルに当事者を集める会議体がおかれ対応策が話し合われ、そこに工程の成員間で行われる改善活動、QC-JK活動の成果も加味してゆく仕組みがつくられた(1970年代)。稠密な生産管理の仕組みと合議に基づく実行責任の分有の体制が利益の創出の仕組みとしてビルトインされた。さらに1990年代に向けてはAOLというコンピュータシステムが構築され、全行程の製造情報と生産管理のオンライン化が進んだ。

 

               4.論評

 本書の論評にうつることにする。本書は戦後の生産職場の展開を造船業に目を据え、工程の編成原理の革新とそれにともなう現場の作業員組織の変更を明らかにし、現場の組織を束ねるべくあらたに創設された監督者が養成され配置される様相を描き、次に目を鉄鋼業に転じ、同じく作業組織の刷新と新たな監督者の配置が行われ、それを基に徐々に現場から製鉄所・会社中央をカヴァーする生産管理体制が構築され、とくに管理の重点が原価や歩留り・稼働率などの数値による情報の集約とその利用に移され、企業の最終目的である利益を取り出すための仕組みがつくられる様相が端的に描かれている。叙述の流れは、くりかえしや行きつ戻りつが多くスムーズであるとは言いがたいが、実証された内容はクリアーである。

 そのような実証された中身を考えると、「労働研究において管理問題を取り入れる」(p.500)、「日本企業の国際競争力を理解する」(p.25)とした本書の所期の目的は果たされたと言ってよいであろう。

 第3章では造船業の資格制度(従業員の序列制度)が取りあげられる。当初の実証上の問題関心は、戦中までの工員と職員との身分的秩序が戦後の社会変化のなかで工・職一本のフラットな社員秩序に編成し直される様相を観るというものであったが、結果は、工・職の区分を一定ていど残しつつ、新たな任務を帯びた現場監督者が配置され、その監督者の存在がその序列の上下のバランサーとしてはたらいたことが職場を効率化し安定化するには大きかったという経過を見いだしている。叙述では、勤労専門の部署が資格制度としてどのような従業員の階梯を考案したか、階梯の数をいくつにしようとしたかなどに紙幅を割いているものの、資格制度の制度設計やその実行よりも現場の従業員の学歴構造の変化(戦後に入社した新制高卒者の中堅化)という社会的要因や企業内施策としては教育訓練体系の改編などが新たな資格制度を機能させるには重要であったとされている(第4章)。このように当初の仮説にそった実証結果が得られたわけではないが、職場管理の変化とその安定化の背景にあった要因が摘出された。そのことを評価しておきたい。そうした要因を見い出したことが、第5章の鉄鋼業の現場組織の管理者の創設の実証につながってもいる。

 

 次にとりあげたいのは、本書の対象とした二つの産業における生産職場の監督者の労使関係上の位置づけである。現場管理のキーマンとされる造船業の職長、鉄鋼業の作業長は、本書で観た戦後の職場の生産管理の進化のなかで同等の重要性をもって制度化された職位であり役割である。であるにもかかわらず、職長は労働組合員籍を残し、作業長は組合員籍を外すとされ、両者には労使関係上の位置づけにおいて大きな相違がある。このように両産業で位置づけを変えさせたものはなにか。造船業よりも鉄鋼業のそれのほうが課長との距離がちかく、監督者としての権限が大きいように思われるが、それによるのか。また、石川島では職長を組合員からはずすことについては労使関係の状況を反映し見送られたと指摘されている(p.321)ものの、それも卒然として挟み込まれた文字数にして1行分の言及に過ぎない。このことから石川島では経営が職長を非組にしたかったことは想像できるが、労使の間でどのようなやり取りがなされたかなどには関説されていない。鉄鋼の作業長については、非組とされたことに関しての直接の説明はないが、造船業の職長の制度化が戦後の混乱期であったのに対し鉄鋼業の作業長のそれは朝鮮戦争特需の増産期にあたり労使関係の状況が異なっていた(pp.496—497)との対比がなされている。しかし既存の研究では¹⁾作業長制度の創設の労使協議では当初組合は作業長の非組化には反対であり、協議は難航したとされているのである。いずれにしても、この問題にはより突っ込んだ説明が欲しかった。

  1)兵藤 釗「職場の労使関係と労働組合

 (清水慎三編著『戦後労働組合運動史論』日本評論社、1982年)所収

  

 いま少しこの問題に言及しておくと、一般に戦後における製造業の現場の監督者はどちらかといえば、組合籍を残すかたちになっている部門が多いと思われる。電機産業や自動車産業ではそうである。技術や管理、労使関係上の知見が豊富な本書の文脈のなかで監督者層の位置づけについての説明が念入りになされていたなら、製造業の監督者のそのような位置づけがなぜ一般化したかについて、その背景を考えるヒントとなったように思われる。

 

 最後に本書における管理史の研究と労使関係研究の関連について論評したい。本書は「労働研究において管理問題を取り入れること」に力を入れるとされ、序章ではその大半を労使関係研究のレヴューに当てている。このことから考えて労使関係の研究に管理の問題をとり込み、位置づけたいのだと評者は思った。著者は、労働研究に管理問題を、としており労使関係研究に、とはしていないので、そこには一定の留保をしているのかも知らないが、やはり本書の管理の研究がどこかで労使関係研究と直接にリンクする糸口や構図が示されるのだと予測するのは不自然ではない。ところが、評者の読解力不足をおそれるけれども、読了してもどこに糸口が布置されているのか、見えてこなかったと言わざるをえない。たしかに管理史のなかに労使関係事項をとり込むのは容易ではない。だからこそ一部(人事管理、賃金管理、時間管理など)をのぞけば管理をふくむ労働研究が乏しかったわけである。まして本書のように管理といっても原価・利益創出のための数値管理に主眼がおかれるのであれば、なおのことそうであるのはよくわかる。しかし、労使関係への言及が少なすぎる。労使関係という術語が形式的に過ぎるのならば、経営が何らかの施策をおこなおうとした際組合や労働者に説明したか、しなかったか、したとすれば組合はどう反応したかなどにもっとふれてほしかった。拾い出しても、コンピュータ導入への組合の姿勢(第6章)、造船業の職長制度の立案過程への組合の発言くらいにとどまるのである。職長制度や鉄鋼業の作業長制度へのそのような側面からの究明がなされていれば、仕事管理(能率管理、労働時間管理、要員管理など)への労使の姿勢に接近でき、管理と労使関係研究をつなぐ糸口を覗くことができたのではないかと思われるが、いかがであろうか。

御茶の水書房、2020年12月、526頁、定価8000円+税)