40年も積読にしていた明六政変の本

 

毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書

 41年間、積読にしていた毛利敏彦『明治六年政変』を読んだ。

 いつかは読もうと思いながら…。面白かった。学会でどんな評価が下されてるかは知らないけども、私の頭にある通説はくつがえされた。岩倉具視使節団は目的も不明確で一年半もの間無為に米欧を漫遊していた、その帰国後のいわゆる明六政変は内政派(大久保)と征韓派(西郷)の決裂ではない、使節団漫遊期の留守政府こそがその後の日本の社会の重要な枠組み(学制、司法制度など)を作った。

 その枠組み作りに目覚ましく活躍したのが、佐賀藩出身の江藤新平だった。明六は、言ってみれば、そのまま行けば江藤らのイニシアチブで政界が進んでしまうのを嫌った大久保・伊藤博文らにより仕掛けられた転覆劇だった。江藤はその5か月後には佐賀で斬首される。

 こんな内容の本であったこともあり、思わず家を飛び出し江藤新平の生誕地に自転車を走らせた。

 江藤の生地は、意識して探さなければまず気がつくことはないようなところにある。佐賀でも、大隈の生地などは佐賀城の堀にほど近いところにあるのだが。最下層の士族であった江藤の家はまったく異なる。今回ばかりはちゃんと調べて始めてたどりついた。

 最後の写真は、長崎街道の佐賀城下に入る西端にある橋。このちかくに江藤の生家はある。敷地は今は人手に渡っていて、小さい碑がひっそりと建つだけである。

長崎街道が城下に入る西端にある橋(江藤の生家にほど近い)