書評・石田光男/上田眞士『パナソニックのグローバル経営-仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房2022年

[書評] 石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営-仕事と報酬のガバナンス-』(2022年1月、ミネルヴァ書房

                                   富田義典

 

本書の課題はパナソニック社(以下P社)のグローバル経営の構造を明らかにすることである。諸篇は綿密な体系をもって構成されており、できるだけ丁寧に読み取るために全章を順を追いながら紹介していきたい。

第1部第1章「課題と方法」(石田光男)。ここは言うまでもなく方法論の章である。方法論として検討されているのはグローバル経営論、資本主義の多様性論、制度の経済学、内部組織の経済学などである。重視されているのはバートレット/ゴシャール(1990)、青木昌彦(2011)、O. E. ウィリアムソン(2017)である。三者とも分析視角として一部取り入れられており、次のように評価されている。バートレットらは多国籍企業の事業を事業軸(製品の多様性を維持する力)と地域軸(多様な市場を取る力)をすえて捉え、両軸を維持できた企業がグローバル企業として存続できるとした。観察結果と2つの軸に視点をあてた分析法は評価できるが、バートレットらには経営過程のなかを観る視角が欠けているとされる。

制度の経済学としては青木を検討している。青木(2011)は組織(会社)を経営者と労働者の集合認知の組み合わせであるとする。その組み合わせには、経営者と労働者の間の「垂直的集合認知様式」と労働者間の「水平的集合認知様式」(労働者とはトップマネジメントを除くすべての従業員とされる)とがある。前者は「ヒエラルキー型」と「同化型」のいずれかのタイプ、後者は「同化型」と「カプセル型」のいずれかのタイプに二分される。組み合わせは「組織アーキテクチャ」と呼ばれ、企業組織の性格をかたちづくる。組み合わせは単純に数えれば2×2となるが、米国型、日本型、ドイツ型、シリコンヴァレー型などの類型が見出されるとする。本書はその類型化にはリアリティがあると評価するものの、組織アーキテクチャと近接して用いられているコーポレイト・ガバナンス(以下、ガバナンス)という術語への意味付けが甘いとする。ただし青木の所説にはガバナンスの観察のための示唆も含まれているとして、上記の垂直的集合認知様式と水平的集合認知様式を、縦のガバナンスと横のガバナンスという分析軸に仕立てて第2部からの実証編にとり込むことが告げられている。

さらにガバナンス論として、ウィリアムソン(2017)が取りあげられる。同著はそれまでの研究がガバナンスを意思決定の心理などにそくして観ようとしていたのを批判し、取引や契約のはたらきとして捉え、取引の実行は事業「計画」が立てられることにより担保されるとした。しかし、計画の実行には当事者の限定合理性や機会主義がまとわりつくので、なんらかの支えがなければ実行はおぼつかない。その微妙な過程=経営過程をとらえるにも、ウィリアムソンの初期の著作(ウィリアムソン(1980))の「統制」controlと「誘因」incentiveの研究が参考になるとして、統制と誘因のはたらきに目を凝らすのが経営過程研究の勘所であるとして方法の検討を結んでいる。

 この統制と誘因で経営管理をとらえようとする方法は、編者の石田が唱えてきた雇用関係を「仕事の遂行のルール」と「報酬のルール」として捉えようとする方法と立脚点をともにするものであり、対象が雇用関係から経営管理に拡がる本書でも、方法の骨格として保持されるとする。

以上が第1部第1章である。

第2部には「仕事の遂行のルール」(仕事のガバナンス)に関わる諸章が置かれ、第3部には「報酬のルール」(報酬のガバナンス)に関わる諸章が配置される。第2部以降の諸章のタイトルと執筆者は以下のとおりである。

第2部 仕事のガバナンス

第2章 事業計画にもとづく組織業績管理プロセスの全体像(上田眞士)

第3章 原価構築における開発部門と購買部門(上田)

第4章 海外製造拠点における能率管理と品質管理(上田)

第5章 海外販社部門の組織業績管理と仕事決定(上田、竇少杰)

補論 マトリックス経営における地域軸の仕事(西村純)

第3部 報酬のガバナンス

 第6章 本社の人事改革(石田)

 第7章 人事制度グローバル標準化のプロセス(樋口純平)

 第8章 海外販売拠点の人事処遇制度(樋口、石田)

 第9章 海外生産拠点の人事処遇制度(石田)

 終章 学び得たこと(石田)

 

 第2章は、P社の経営組織の変更の説明から始めている。P社は中村改革(2003年)を機に伝統の事業部制を改め事業部をまたがるマーケティング部門を置き、市場の動きにより敏感に対応できる体制を敷いた。その後、深刻な経営危機を挟み、全社をスリム化しマーケティング部門も事業部に取り込む組織に変更するが(2013年)、market inを標榜する組織の基本を変えることはなかった。

 次いで事業計画の作成と実施の過程を観る。その過程は「適応のガバナンス」と「改善のガバナンス」という視角を置いて説明される。適応のガバナンスとは市場の動きに事業活動を適合させるのが任務であり、事業部(以下ビジネスユニットBUと呼ぶ場合もある)の商品企画が国内外の販売部門を集め製品別および内外の地域別販売台数、売価の計画を練り、収支の見通しを建てる。ここまでは計画である。そこからが実施の過程になる。その仕組みは2つの会議体からなる。月次「生販会議」では事業部に内外の生産拠点、販売担当を参加させ、製造・販売・在庫の計画値と実績を突き合わせる。その結果を踏まえ、「決算検討会」で収支の計画値と実績をにらみ対策が練られる。もう一方の「改善のガバナンス」は次章で取り上げられる。

 上の説明にもあるように、新たな分析の視角がここで提示されている。「事業軸」と「地域軸」である。事業軸は、P社の経営の骨格ともいえる事業部の製品企画、製品開発、製造を担う事業部の活動を指す(以下では事業軸を製造部門の意味で用いることもある)。地域軸とは、地域を土台とする市場での事業活動を担う販売部門の活動を指す。

 第3章は「改善のガバナンス」をあつかう。改善のガバナンスとは、市場を取り、収益を増すための取り組みを指す。ここではTV生産部門の「原価企画」を観察している。原価企画とは、製品の開発段階から原価を削り込み確定してゆく過程と、量産開始後に原価低減を行う過程、部品の納入を行う下請企業とP社との間での原価の確定と低減の取り組みからなる。今日の電機産業では「スマイルカーブ」なる言葉に象徴される付加価値産出における製造部門の寄与度の縮小のなかでの取り組みであるから注目される過程と言われている。活動に関わるのはTV事業部の開発、日本母工場(栃木)、マレーシアの生産拠点KM社の開発部門である。内・外の拠点に役割の優劣があるわけではなく受像機のサイズで担当が分かれる。開発チームは各種設計を進め、並行して細かく原価の推定と削り込みを繰り返す(原価企画)。聞き取りの対象としたのは、ゼロからの新モデルの立ち上げではなくいわゆるモデルチェンジのケースである。モデルチェンジの間隔は1年と短く、原価企画は発売予定の前の年度から始まり、順に「企画決済」、「金型決済」、「価格決済」の会議体を経る。企画決済では原価が前モデルの原価との差分(削減額)として企画・提案され決済を受ける。この段階ではまだ製品設計図面は書かれていない。金型決済に移り、そこから設計が始まり部品にまで落とし込んだ原価が提案・決裁を受け、それを以って部品製造業者に発注がかかる。製品全体の原価が計画され売価と生産台数が提案され決済を受けるのが価格決済になる。量産開始後は、モデルの残存期間の1年の間にも原価削減は企画されその段階も原価企画のうちに入る。

 この原価企画で1つのポイントとなるのは部品製造業者との間での取り組みである。それはTV以外の部品の購入も担当する「購買センター」(事業部の上位組織「社内カンパニー」内)の他製品の部品購入もにらんで行う原価企画として行われる。このように他・多部門の横の協力による業務の遂行を「合わせ技」によるガバナンスとこの章では呼んでいる。

 第4章からは目を海外に移す。第4章では、海外生産拠点での仕事のガバナンスをあつかう。対象はマレーシアのTV生産拠点KM工場(前出)と中国の監視カメラ生産拠点NS工場である。両工場とも電子部品の実装工程と総組立工程からなる。印象に残るのは、量産開始後の原価企画で計画された数値をもとに実績をチェックする管理を布いており、それは経営中枢で決められた原価企画の管理指標が現場末端まで降ろされていることを示す。拠点独自の手法として、実装作業1打点ないし1作業当たりの工数(人件費)をベースとした管理を行っており、作業者の数を減らすタイプの改善が志向されていることを示す。この改善は自動化や無人化を基本としており、実行役はエンジニア層である。その推進のための会議体には、現場の取りまとめ役の班長層は呼ばれない。上記の原価管理の会議体にも班長層は呼ばれない。一見すると日本風の現場管理がなされているように見えるけれども、現場からの改善の積み重ねを重視する管理にはなっていない。

 もう1点注目すべきは、現場に外国人労働者(KM工場)や非正規労働者(NS工場)が数多く導入されていることである。これはそうしたことを容易にする労働市場条件があってのことだが、現場の集合認知を積み上げるタイプの現場主義は希薄であることを示している。外部労働者の利用は品質問題への懸念を生じさせ、そのリカバリーのために現場の班長層に期待する向きもあったが、その対応はテクニシャン層(エンジニアに位置づけられる)にあたらせていた。

 第5章はグローバルに展開する海外販売部門を検討する。それは先に掲げた分析視角の2つの軸、地域軸と事業軸との交差するところであり、仕事のガバナンスの研究でも鍬の入っていない部分でもある。調査対象は主にインドネシアの国別販社である。P社の海外販売部門の組織は、P社本社-地域統括会社-広域販社-国別販社の4層からなる。中核部隊は地域統括会社と国別販社である。国別販社は、各地の営業所を従え、事業部の出先としてのマーケティング部門も持っていた。販売部門でありながら事業部も入り込んでいるわけである。国別販社の事業計画は、販売部門と事業部の双方が参加して策定される。それゆえ事業計画は地域軸と事業軸とのマトリックスとなる。地域軸からみればその国で扱っている各種家電品の計画が並び、事業軸からみれば特定の製品(TVならTV)の各国の計画値が並ぶかたちになる。地域軸(販売部門)は各種製品を束にして収益を考えるが、事業軸は特定の製品の収益を基本にする。このようにウエートの置き方が異なるので販社での事業計画とその実施は摩擦含みとなる。

 それもあって国別販社の事業実施過程には念入りに会議体が置かれている。ベーシックなのは「PSI会議」で、Pは販社が事業部から製品を買い入れる(移転)、Sは販社が市場にあるディーラー(量販店など)に製品を売る、Iは販社における在庫である。同会議は市場動向をみながらPSIの値を計画し実施を検証し販売台数や売価の検討を行う。「BPR会議」は、営業所との連絡を密に保ちタイムリーな情報をPSI会議に上げるための会議である。「販売会議」は、より営業の実地に近い情報を集約する役割を担う。「BOD会議」は、社内の全ダイレクターが集う会議である。これら4つの会議には地域軸・事業軸の両方が参加し、両軸の間のやり取りはソフトなものではない。事業部は利益に、販売部門は売上げにウエートを置く。力をもつのは明らかに事業部である。ともあれ、これらから言えるのは、管理のための計画は現場に近いところまで降ろされている(縦のガバナンスは深い)こと、ただしこと販売部門に関しては、ガバナンスは市場内部(店舗)にまでは及んでいないことである。そしてそのような事業部と販売の両部門の絡み合う部面からは、事業のあらたな芽というべきものが生まれている。これは注目すべき動きであり、具体的には、製品ラインナップの欠如を埋めるためにODM(設計段階からベンダーに任せるタイプのOEM)が開始され、また卸売りを介さない販売ルートを拡大するなどがあらたに始まっている。これらは販売部門の発案と責任になるものであった。

 第5章の後におかれているのは補論である。補論ではP社のインド事業がとりあげられる。事業軸で収益を、地域軸で市場の拡大を追求するP社の経営スタイルはインドにも見ることができる。インドで地域軸を担うのはインド地域統括会社-インド国別販社である。この国別販社は製造部門も併せ持っており、収益の責任をも担うかたちになっている。2000年代前半のP社のインド事業は販売分野で苦戦を強いられており、苦戦の主因は製品ラインナップの不揃いによる市場のグリップ力の低下であり、欠落部分を埋めるため地域軸(販売部門)が自らの責任でODM(第5章参照)を実施した。ODMは2012年のTVに始まり、冷蔵庫、エアコン、洗濯機に及んだ。それによってインド事業は黒字に転換した。このインドの実績が示すのは、製・販が近いという経営組織面の特性がインド事業に市場への新たな接近のありかたを構想させる下地となったことである。市場の特性を熟知した販売部門が事業軸(製造部門)を動かしP社経営にとっての新たな方向性の芽を見出したのであり、P社にとっての「地域軸と事業軸との間の取引構造の転換」であると評価できると結ばれている。

 第3部に移る。第3部は報酬のガバナンスの検討である。

第6章は、P社本社の処遇制度をあつかう。P社は2014年に処遇制度の大きな改革を行った。管理者層の制度から観てゆくと、まず等級制度をそれ以前の大ぐくりなものから8ランク区分に変えた。個々人の格付けには米国マーサー社のシステムを用い、10の要素により個々の仕事を分析しその結果を仕事の重みとして格付けを行うこととした。賃金もそのランクによって払われることとし、そのランクごとの重なりはなくシングルレートであり、仕事のランクは毎年洗い直され、かつまた昇給という考え方は介在させない、そのような制度であった。厳格な役割等級・役割給である。組合員層の制度も変更された。組合員層の等級制度は、3つの系列を設けそのなかに3~8の等級を置いた。管理者層の制度に似てはいるものの、賃金へのヒモ付けのさい等級内に段階を設けそこに属人的要素がのこり得る制度になっていた。

 第7章は目を海外に移し、P社の人材管理のグローバル化の現状を観ている。まず着目されるのは第6章でみたあらたな社員等級制度がどのように適用されているかであるが、進められているのは管理者層の等級制度に限られており、米国・中国に一定の曲折を経ながらも適用が進んでいる。東南アジアは進んでいない。次はその等級に人を貼り付けるための評価制度である。2つの制度的試みがある。各自の能力獲得目標を掲げさせその達成度合いを評価するコンピテンシー評価に近い試み、企業の事業目標の実施に自己がどう寄与できるかを掲げさせその達成度合いを評価するものであった。それらを処遇へとつなげるところでは、前者は処遇には直接反映はさせず上司との仕事上のコミュニケーションの梃子として用いるとされた。次いで、賃金水準をグローバル標準に合わせていく取り組みがとりあげられている。賃金水準はそれぞれの当地の労働市場状況を反映させないわけにはいかず、いまだ成果を観るには至っていないのが現状だとされている。

 企業グループとしてのグローバル人材の形成への取り組みの研究は、グローバル経営の研究において重要な論点である。P社でも地域統括会社を中心に経営者層のグローバル人材の発掘と研修の制度が整備され実施も緒についている。ただし実施(2018年)間もないため海外拠点に限定しても経営層にしめる外国人比率は30%にとどまっているのが現状であるとされている。

 第8章は販売部門の海外拠点の報酬のガバナンスをあつかっている。調査対象は中国の地域統括会社とインドネシアの国別販社である。中国についても華北や華南などの各地販社の事情が調べられている。中国では2011年にそれまで販社間で不統一であった社員等級制度の統一を始めている。それによると等級制度は組合員層と管理者層の制度を区分し、組合員層には個人の能力の伸張を評価する等級を設け等級と職位は切り離すかたちにしている。管理者層の制度は、職位の数をにらみながら1つの等級に属する人数を管理する職位とリンクさせた制度としている。等級の賃率へのつなげかたは、組合員層の場合は社内的要素をもとに行い、管理者層のそれは世間相場(労働市場要因)を基礎としている。

 インドネシア販社では、ヘイ社の職務分析をとり入れている点に特徴がある。ヘイ社の手法の採用はアジア大洋州地域統括会社が域内国別販社の等級の標準化を進めようとしている動きの一環である。そこにおける等級の賃率へのつなげかたは組合員層と管理者層とで異なる。組合員層については、最下の等級の賃率を同国の法定最賃の額(≒生計費)にフィックスし、そこから組合員層の最上位に向けて賃金カーブを描いてゆくかたちで各層の賃率が決められる。賃金カーブの傾き具合は団体交渉のなりゆきや企業の管理面の思惑の絡みによって決まってくる。他方で、管理者層の場合は等級ごとの世間相場を反映して決められる。販売部門の等級と処遇の制度は、生産拠点の制度をとくに意識することなくつくられている。これは中国の販社でも同様である。

 第9章では、製造部門の海外拠点の報酬のガバナンスを観る。事実の整理の仕方は、仕事のガバナンスと報酬のガバナンスの連関のありかたに着目してなされるが、そこに媒介項として「労働アーキテクチャ」という観点を設けている。労働アーキテクチャとは機械設備のありかたを含めて労働者の編成と分業のあり方を指す。調査対象は3拠点であるが、みな似ているのでマレーシアのTV生産拠点(KM工場、第4章)に限り内容を紹介する。KM工場ではいわゆる日本風の「工程で作り込む」製造方法が採られている。例えば製造品目の変更のさいの設備切替えによる休止時間を計測し標準値を示し効率と作業の正確さを追求するなど、そうした工程管理を担える人材を養成するため日本人のベテランを教育係として配置するなど、本書で言う縦のガバナンスは深く浸透している。ただし10本あるTVの組立ラインのうち8本は外部人材(派遣)に任されており、そのような細かな管理の実をあげるための業務は管理層やエンジニア層に集中させ、班長レベルもその埒内には入れておらず、管理者層・正社員・外部労働力の間の分業関係の隔たりは大きい。むろん三者の間は離れたままであるわけではなく協力は保たれており、そのことを、離れていきそうなものが蝶つがいで結ばれた状態であるとして、「蝶つがい的接合」の労働アーキテクチャであると銘打たれている。

以上の仕事のガバナンスと労働アーキテクチャがどのように報酬のガバナンスにつながっているのか。等級制度は等級が多段階で、かつ等級内の刻みも多く、管理者層は実績を、組合員層は年功を加味した格付けがなされる。等級の賃率へのつなぎ方については、賃金のうちの成果給部分に特徴がある。管理者層の成果給は社・課レベル、および個人の計画値と実績の結果を反映させ、しかも半年で洗い替えられる。月給の2割が成果給である。組合員層にも成果給はあるが6%程度のウエートで、実績値の反映の具合もゆるい。そもそも管理者層と組合員層との賃率の開きは5倍はあり大きい。まとめると、仕事ガバナンスが稠密に布かれており、労働アーキテクチャは各層がさほど強く接合しているわけでなく蝶つがい的接合であり、報酬ガバナンスは成果給を組合員層にも適用している点で形式的には深いガバナンスになってはいるものの実質は深くなく、労働アーキテクチャが報酬のガバナンスに相似しているとされている。一点注意すべきは、蝶つがいが届くかどうかの境目の辺りに関しては外部労働者はむろん、正社員層でもグレーな部分はあっさりと外部化される傾向がある(とくに中国の生産拠点)とされている点である。

終章に移る。本書では仕事のガバナンスと報酬のガバナンスという観点に、労働アーキテクチャという視点を介在させ(第9章)、くわえて、それらの環境条件をなす当該の国(地域)の労働市場、教育制度、職業訓練などを考慮し、P社が展開するグローバルな経営過程の性格を捉えようとしてきた。2つのガバナンス、アーキテクチャ、環境条件のそれぞれの中身と相互の連関のありかたが経営過程の性格をかたちづくるとされており、終章ではP社の位置を探るために同じ観点等をもとにした日本(国内)と(欧)米企業の特性の観察の結果を対比的に掲げ説明を試みている。表1がそのための表である。「モデル日本」は日本企業(国内)、「モデル(欧)米」は欧米企業の特性を示している。海外生産拠点はP社の海外生産部門、海外販売拠点はP社のそれであり、海外販売部門は本文説明をもとに評者がつけ加えたものである。中央の二者がモデルと銘打たれていないのは、見出された中身に型らしきものは観られるけれどもモデルまでではないという含みがあるからである。

            表1挿入

モデル日本について。一般的に仕事のガバナンスは報酬のガバナンスにより支えられる関係にある。ところが日本の製造業では仕事のガバナンス(事業計画の実施と結果のチェック)は現場の末端まで浸透しており、報酬のガバナンスにより支えられる必要は少ない。それゆえ報酬のガバナンスが事業計画の実施結果の程度を処遇に厳密に反映させる必要性も小さい。労働のアーキテクチャも経営者と労働者層との間隔は小さく両者は統合的である。それは仕事のガバナンスの深い浸透度と相似形をなしている。次いでモデル(欧)米である。労働のアーキテクチャが、経営者層が職務群にそって縦割りに組織され、それぞれが別々の労働者群と連結される(カプセル型。この形容は青木(2011)に拠る)形になっており、仕事のガバナンスも統合的な事業計画を降ろす様式ではなく、カプセル内の職務遂行者としての責任の自覚に恃む(「職務主義」)ところがつよい。それゆえ仕事のガバナンスから報酬のガバナンスに恃むところも少なく、報酬のガバナンスは職務を基礎に組織された労働市場の動きを反映しているかが合理性を得る根拠とされていれば足りるという性格である。これが(欧)米企業の姿とされている。

「海外生産拠点」はP社の海外生産拠点の特性から帰納された経営過程の構造の説明となる。労働アーキテクチャは、設備編成・労働編成ともに技術者と労働者層との隔たりが小さくなく、現場には外部労働者も多いかたちになっている。むろん各単位がばらばらであるわけではなくつなぎとめられている(蝶つがい的接合)。そのような労働アーキテクチャを受けて、仕事のガバナンスは現場深くにまでは入っておらず、報酬のガバナンスも管理者と労働者層の処遇が一面では連結され、一面では切断されたかたちになっている。最後に、「海外販売拠点」である。この欄は本書のP社の販売部門の実態の説明からその特徴を評者が摘記したものである。労働アーキテクチャは、製造部門とは異質な部門であること、市場が国や地域で異質であることから特定の単位ごとに切断される、カプセル型に近い。それゆえそうした職務の切れ目に沿った処遇のありかたとなり、職務横断的労働市場を引き寄せる特徴がみられる。この海外販売拠点については、後出の問題点の指摘の部分であらためてふれることにしたい。

 

ここからは本書を読んで感じたこと、考えたことを記していきたい。

まず本書の実証の最大の柱である仕事のガバナンスと報酬のガバナンスというワンセットとなった視角である。これは元来は雇用関係を捉えるために編者の石田により唱えられてきた方法である。すなわち雇用関係は労働者による労働支出の提供と経営者によるそれへの反対給付の関係により成り立つとするもので、くだいて言えば、どのような仕事を、どれだけの時間をかけて、どのような質でもって遂行し、どれだけの賃金を払うかに目を凝らすという観察方法を指す。本書では仕事の遂行に関わる管理を仕事ガバナンス、賃金の支払いを報酬のガバナンスと呼ぶ。この観察方法が膨大とも言えるP社の事業=経営管理の全体を捉える下敷きとなっている。この試みは、本書を読み終わってみれば違和感なく、それこそストンと落ちてくる感覚で受けとめられる。ただし、読む前にこの方法とP社の巨大さを念頭におき、いざ自分がその方法で実証してみろと評者が迫られたとするならば気が遠くなるようなたぐいのものであったことはまちがいない。ともあれ、この方法は本書にあっては成功していると言わざるを得ない。たしかに石田がこの視角を提唱した時点の経営や雇用関係と本書が観た時点の実体には、大きな懸隔がある。とくに仕事のガバナンスの対象領域(仕事)は拡がりに拡がったといってよい。当初想定されていたのは製造業の労働現場の仕事にすぎなかったものが、本書ではホワイトカラーによるマーケティング、製品開発、販売に拡がり、製造部門も、コストの削減や収益の実現のための計画の作成や実施、実施の検証にまで拡がっている。それらを束ねるのが仕事のガバナンスであり、それを捉えようとするのが本書の「仕事のガバナンス」である。そこまで拡がった射程をどうまとめるかには厚みのある方法が必須である。それは後ほどふれるとして、ここではさほどなまでの拡がりをもつに至った仕事のガバナンスに対して相対するはずの報酬のガバナンスも相応の変化・拡大が必要になろう、この点である。少なくとも賃金論の射程では、月例賃金の制度や人事考課の検討では足りない。本書では社員等級の制度を経営者層の制度にまで拡げ、等級の賃率へのつなげかたや賞与の分配のありかたまでを丁寧に聞き取っている。仕事のガバナンスの拡がりにそって報酬のガバナンスの対象も拡げてきていると言ってよい。しかしまだ足りないだろう。会社一般の経営(仕事)にまで分析を拡げるにはストックオプションやその他金銭にかぎられない仕組みを含めて経営者層への処遇論が本格的に用意されねばならないだろう。

次に、仕事のガバナンス論に移り、その方法にふれたい。なにしろこれだけの組織と経営過程の分析であるから多くの分析軸がおかれている。もっとも大きな軸として仕事と報酬のガバナンスがあり、次いで市場の変動に対応するための組織や部門を横に貫く管理を観てゆく「横のガバナンス」と、市場や収益を確保し増すための組織を縦に貫く管理を観る「縦のガバナンス」がおかれる。横のガバナンスは「適応のガバナンス」、縦のガバナンスは「改善のガバナンス」とも銘打たれている。さらに縦のガバナンスには、「事業軸」と「地域軸」がある。事業軸とは、P社伝統の事業部の組織と機能を指す。おもに本社のマーケティング部門、商品開発、製造拠点からなる。地域軸とは、おもに販売部門を指し、本社、地域統括会社、国別販社と連なる。

これら以外にも分析軸はあり、事実の整理のなかでは多くの軸が張り巡らされ叙述は進んでいくので読みやすいとはいえない。たとえば原価企画は量産開始後の原価低減までを原価企画とするならば第1章の方法論の箇所では横のガバナンスに入っているが、終章では縦のガバナンスの部分で論じられるなど(pp.567—569)、原価低減も市場力の改善だから縦のガバナンスとされてもおかしくはないが、とまどう。読むさいにはページを進めながらページを遡り、確認しつつ読むことになる。しかしそれだけの話しである。さしたる問題ではない。分析軸のなかでとくに重視されているのは、縦のガバナンスである。これは具体的には事業プラン、とりわけ収益計画が能率やコスト計画として経営組織(むろん海外を含めて)のどのレベルまで降ろされているか、製造部門でいえば製造職場の直接労働者まで降りて行っているかを検証しようとする観点であり、国内の製造部門では現場主義で作業組織まで降ろされるのが通例であるのに対し、海外の生産拠点ではエンジニア・係長レベルにまでしか降りておらず(第4章マレージア、中国)、仕事のガバナンスのそのような差異が経営管理の類型の識別の目安として用いられることにつながっている。

この縦と横のガバナンスという軸に関して、ひとつ気が付いた点を指摘したい。たしかに上記のとおり縦のガバナンスはとりわけ重要である。コスト削減-収益確保に直結する部面に関わるからである。しかし収益の計画とその実施に関して関わりをもつのは、開発部門、開発と製造のインターフェイス、製造と部品供給会社のインターフェイス(原価企画の実施)、製造と販売のインターフェイスである。これらは横のガバナンスである。具体的には、事業軸(製造部門)の商品計画と収益計画が地域軸(国別販社)に降りていかず、というよりも国別の販売部門の計画と容易に折り合わず、製造計画と販売計画とが修正・実施され、販売部門の責任でODMの実施や、販売ルートの変更(従来の卸の回路をショートカットする)に踏み込むなどが行われていた(第5章、補論)。これらはいわば縦のガバナンスの挫折なのであり、結局は折り合うのであるが、それにしても、「事業軸内で完結されるタテのガバナンスを通じた原価企画や原価改善のみでは気付けなかった知の獲得と活用」であり、「新たなP社経営方式の実験」であると社内でも位置付けられているという(p.365)。

これはP社の経営管理の事業軸と地域軸の問題であり、本書の分析軸では縦と横の問題でもある。本質としては前者の問題であることは言うまでもない。時は市場のグローバル化の時代であり、前者は事業軸=製造部門と地域軸=販売部門との間の問題と読みかえることができる。販売は市場からの直接の入力を受ける。それゆえP社の経営過程の分析も、縦・横のガバナンスはともあれ、製造部門と販売部門との関係を軸として捉えられた像をえがきうるものに進むべきかもしれない。

そこで販売部門のガバナンスを本書が見出しているP社の諸事実をもとに評者の判断で類型化を試みてみたい。先の表1に書き込みふり返ることになる。表1はガバナンスのありかたをモデル日本、モデル(欧)米、海外生産拠点、海外販売拠点の4つの類型で捉えようとしたもので、同趣旨で示された本書の表(表終—2 p.583)に評者が手を入れ、海外販売拠点を付加したものである。先の要約部分で説明を保留にしていた海外販売拠点の欄を説明し、販売部門のガバナンスの特徴を浮き出させてみたい。表1には、説明概念として労働アーキテクチャが挿入されているが、その定義は要約部分でふれた。同表の表側に置かれた説明概念の関係性は以下のとおりである。仕事のガバナンスは報酬のガバナンスにサポートされる位置にある、すなわち仕事のガバナンスは報酬のガバナンスのありかたに一定の要請を及ぼす関係にある。労働のアーキテクチャは仕事遂行上の分業関係を意味するから仕事のガバナンスのありかたと整合性を保つよう形つくられる(pp.583—584)。

「海外販売拠点」について。まず労働アーキテクチャは、「専門性の結合」となる。この言葉と見立ては本書(図終—2 p.574)から採った。海外販社の労働アーキテクチャについては、別な箇所にも言及があり「統合」もしくは「蝶つがい的接合」(前出)との見立ても示されている(p.589)が、評者としては「専門性の結合」を採用した。これら括弧内の用語は、本書が青木(2011)の用語をそのまま採用しているので、分りづらい。専門の結合だけ説明しておくと、それぞれの専門に分化した仕事グループが自律を保ちながら情報収集とそれにもとづく業務を進め、それぞれのグループが自身の管理者に統制され、管理者相互の調整や結合関係はあるというものである。例示としては、ソフトウェア開発のモジュールに分化した開発と統合の過程や、製剤開発の化学部門と物質科学部門などの分割作業と統合などを想起すればよい。青木はモジュール化や作業分割にカプセル化という用語も当てている(青木(2011)pp.40—41)。この自律したモジュールやカプセルを単位として業務を造形するというありかたは、販売部門の、各単位が立地する地域ごとの市場の情報や特性の把握にもとづいて事業計画を立案し実行する、そしてそれぞれが当初は干渉しあわないというありかたと相通ずる。これが海外販売拠点の労働アーキテクチャを専門性の結合と押さえる理由である。

次に、同拠点の報酬のガバナンスについては、職種別横断的労働市場にもとづく処遇体系に近いものとなる。この見立ては本書の販売部門の処遇への言及において示唆された見方でもある(p.589)。ただし販売部門としての職種別横断的労働市場がどこまで姿を現すかについては評者には判断材料がない。次に、この報酬の特徴が仕事のガバナンスにあたえる影響については、横断的労働市場の状況を反映するタイプの賃金であるから企業内の事情との相関は弱いはずである。また個人の成果ははっきりと出る一方で市場の波動を直に被る部門であるからそれをそのまま賃率に反映させづらい(インドネシア国別販社の社長を経験した方の証言。p.588)。それゆえ直截に生産のガバナンスを助ける報酬のガバナンスにはなりづらい。

次いで仕事のガバナンスについて。販売部門の仕事のガバナンスについては本書でも営業現場の実態がふれられるところがあまりないので、どう記述するかはむずかしい。ただし経営レベルからかぶせる仕事のガバナンス(縦のガバナンス)のありかたははっきりしている。販売部門も事業計画PDCAを現場に降ろそうとする形式は生産拠点と似ているが、その目標は異なる。生産拠点(事業部)は収益であり、販売拠点は売上げ・市場の確保である。もう一点、異なった観点から販売部門の仕事のガバナンスを評しておくと、上でふれたモジュール化した各市場内部での販売業務の遂行には重層的な会議体(4つの会議、第5章)の存在が重要でそれらによる情報の共有と営業策の案出が印象的であり、青木の用語で言えば「同化認知(認知共有)」がみられる。表1の当該欄に同化と記したゆえんである。

以上、「海外販売拠点」に特徴を記入してみた。このグローバル化のもとでの諸事実の観察においては、まずは大きな分析軸として販売部門をおき、そのなかに縦横のガバナンス、適応と改善のガバナンス、事業軸などの視点を置く整理法が試みられてもいいのかもしれない。

表1の全体に話しをもどす。本書でモデル(欧)米や海外生産拠点というガバナンスの類型が示されている意味は、現在変化しつつあるモデル日本の先行きをうらなうための補助線を提供したいという思いに発するのだと思う。たしかに内容からすれば、海外生産拠点で示された特徴はモデル日本とモデル(欧)米との間にあると考えられるし、また海外生産拠点は他ならぬP社のガバナンスが海外で変異したかたちなのだからモデル日本の先行きうらなうにはよい下敷きになると考えられる。他方、海外販売拠点のそれは、上記のとおり販売部門の先行きであり、モデル日本の先行きを示すものとは考えがたい。

モデル日本の先行きをどう考えるべきだろうか。表1にまとめたところでは、モデル日本は仕事のガバナンスは現場に深く浸透し、労働アーキテクチャは統合型(労働者間、管理者層と労働者間も協働的)で、報酬のガバナンスは仕事のガバナンスから自律的関係にあると特徴づけられている。この仕事のガバナンスと報酬のガバナンスとの関連の捉えかたには目を止めなければならない。元来は報酬のガバナンスは仕事のガバナンスを支えるかたちになっていた。P社ではたしかに仕事の目標値の達成度は個人レベルまで検証されているが、それを個人の処遇に正確に反映させることはもはや行っていない。なぜかと言えば、「仕事のガバナンスが全くもって職場風土として定着していて、わざわざ報酬のガバナンスでの補強を必要としない」。個人の達成度を正確に処遇に反映させることは計画値の「達成に有効でないからである」(p.584)。P社から抽象されたこの見方はモデル日本として一般化できるとされている。このような関係性に仕事のガバナンスと報酬のガバナンスとがなったのはいつの時期かは明示されていないが、おそらく2000年代の成果主義人事制度と2010年代の成果主義の洗練と年功的処遇の抜本的改革の時期を経るなかであろう。

問題は、そのような関係におかれた仕事と報酬のガバナンスが形づくる経営管理は持続可能なのだろうかということである。この両ガバナンスが相互に自律性を強めているという見方は現状認識としては妥当なのだろうと思う。ずいぶん前のこととなった年功秩序の時代も、職能資格制度に基づく能力主義の時代も、職場の労働編成、技能形成、処遇制度の間は程度の強弱はあるにしても相即不離の関係をたもち安定していた。両方のガバナンスがハサミの2つの刃のようにつながって機能していたといえよう。問題は報酬のガバナンスの背景を乏しくした仕事のガバナンスが安定するかである。それについては、上記の引用文にみる見方や「個々人の心からなる仕事のコミットメントを引き出す職場での親密なコミュニケーションとそれの基づく職務遂行を虚心なく評価すること」により立ち行くものとされている(p.584)。しかしこの点は容易に結論は出ないであろう。仕事のガバナンスが自律性を強めれば強めるだけ会社は前進するかもしれないが同時にバーンアウトする人材も増えてくるのではないか。現在のグローバル競争の時代においては、仕事のガバナンスから報酬のガバナンスへの要請ではなく、報酬のガバナンスから仕事のガバナンスに向けての規制・牽制が求められるのではないか。ところがP社で行われた2010年代の賃金制度の改革で導入された「ゾーン別昇降給制度」などは成果主義の仕上げと洗練であると本書ではどちらかといえば高く評価されているかに思えるが(pp.380—387、392—395)、評者には賃金抑制のテクニックに過ぎないと映り、仕事のありようから報酬のありようをますます離れたものにしている。頑張って働いてきた者もそうでない者も中位の水準に収斂してゆく賃金のありかたは現下の仕事のガバナンスのもとで働く労働者に得心をもたらすものとは思えない。仕事のガバナンスの背景に報酬のガバナンスが位置付くような方途を見出していかなければ双方のガバナンスを安定させる道筋は見えないかもしれないのである。そこにかすかに労働者組織、労使関係の果たす役割が見出せるかもしれない。

これで最後にする。本書を読み、労使関係研究を出自とする研究者の集合がかくも重厚な経営管理の業績を構築されたことには心底からの敬意を懐くととともに、ここまで労使関係から離れてしまったことにいささかの感慨の湧くのを覚えなくもなかったわけだが、最後に経営管理の不安や労使関係を垣間見ることになり、ここでこの書評を閉じることにしたい。

 

《文献》

青木昌彦(2011)『コーポレーションの進化多様性-集合認知・ガバナンス・制度-』(原著2010、谷口和弘訳)NTT出版

O.E.ウィリアムソン(1980)『市場と企業組織』(原著1975、浅沼萬里/岩崎晃訳)日本評論社

O.E.ウィリアムソン(2017)『ガバナンスの機構-経済組織の学際的研究-』(原著1996、石田光男/山田健介訳)ミネルヴァ書房

C.A.バートレット/S.ゴシャール(1990)『地球市場時代の企業戦略-トランスナショナル・マネジメントの構築-』(原著1989、吉原英樹監訳)日本経済新聞社

 

 

          表1 仕事と報酬のガバナンス モデル日本など  
  モデル日本 海外生産拠点 海外販売拠点 モデル(欧)米
仕事のガバナンス 全層に浸透
目標:収益
経営層・技術者層
まで浸透
目標:収益
重層的会議体による調整と情報共有
(同化)

目標:市場の拡大

経営層まで浸透
目標:収益
 
仕事のガバナンスから報酬のガバナンスへの要請 強くない 強い 弱い 弱い
労働のアーキテクチャ 統合 蝶つがい的接合 専門性の結合
営業現場の労働ア
ーキテクチャは不明 
専門性の結合
報酬のガバナンスの
特徴
仕事のガバナン
スからの相対的
自律
仕事のガバナンス
の補強
職種をベースとした流動的労働市場に基づく 専門職主義を反映し
た流動的労働市場
基づく

石田/上田『パナソニックのグローバル経営』