プーチン・ロシア の政治体制を考えるための2冊+α

 ロシアによるウクライナ侵略が始まって70日経った。ウクライナの姿勢や困難には心を寄せないわけにはいかない。しかしロシアの姿勢にはとうてい理解できない。なぜロシアはそのようになるのか、その背景を知りたくて、ここしばらくロシア関連の文献を漁ってきた。ここに紹介する2冊が、今のところは多少の落ち着きをもたらしてくれているものである。

 ティモシー・スナイダー『自由なき世界-フェイクデモクラシーと新たなファシズム』上下、慶応大学出版会、翻訳(池田年穂)2020年、原書2018年

 マルレーヌ・ラリュエル『ファシズムとロシア』東京堂出版、翻訳(浜由樹子)2022年、原書2021年

 双方とも、ロシアの状況を思想と思想史からとらえようとしている。見立ては、スナイダー本は、ロシアはすでにファシズムであるとするのにたいして、ラリュエル本はロシアはファシズムではないとするものである。

 以下、2冊の内容を紹介しよう。

スナイダー『自由なき世界』

 スナイダー『自由なき世界』について

 スナイダーは、2012年の反プーチン運動の盛り上がりと2014年のクリミア併合を経てロシア政治・プーチン体制は明らかにファシズムに移行しているとみる。それを構成する社会思潮をスナイダーは以下のように整理・紹介している。

 なかでも重視されているのがイヴァン・イリイン(1883-1954年)である。イリインは、ムッスリーニの時代に思想形成した人物で、ロシアこそが神の完全性の唯一の源泉であり、欠陥のある世界はロシアと対立するほかない。救世主たるものには戦争を仕掛ける義務と敵を選ぶ権利がある。国民の精神的達成が脅かされる場合は戦争が正当化される。ロシアがファシズムから世界を救うのではなく、ファシズムによって世界を救うのだ。絶対善の唯一の器はロシアであり、永遠の敵は退廃的な西側だ。ボルシェビズムも敵であり、ヒトラーはロシア型革命が拡大するのを阻止し、「ヨーロッパ全体に多大なる貢献をした」。ナチズムもロシアの白軍のイデオロギーから派生したものだ。

 このような言説を展開したイリインはソ連により追放され、定住したスイスで、「いずれくるソ連の終焉」の後に権力を握ることになるロシアの指導者の「手引き」となるようにと自らの著作を全集にまとめ、1954年スイスでこの世を去った(上、第1章)。

 プーチンはこのようなイリインの言説を見いだし、歴史家の名前を一人挙げるとすればイリインだと答えるようになり、スイスに葬られていたイリインの亡骸を、2005年モスクワに改葬した。2010年以降は演説のさいもイリインに言及することが多くなっていた。

レーニン(左)イリイン(右)

 

 次いで、レフ・グミリョフ(1912-1992年)。この「ユーラシア主義」の提唱者とされる人物は1980年代まで執筆活動をつづけた。反ヨーロッパ主義である点ではイリインと同様であるが、スラブ至上主義を掲げることはなく、ヨーロッパに対しては、ギリシアやローマの古典やルネサンス宗教改革啓蒙主義などのヨーロッパの「腐敗から自由であったのはモンゴルであり」、その本拠であるユーラシアによりもたらされたのがモスクワであり、現代ロシアの使命はユーラシアたるモスクワによりヨーロッパをモンゴルに変えることだとした。そのユーラシアの領域は、気候学をもとにすればドイツの域内に境界が引かれ旧東ドイツから東側~アジアにかけてである。そして各領域は元来、「宇宙エネルギーの放出により」活力が与えられるのであり、西側はすでにそのエネルギーを失い、ロシアはいまだエネルギーに満ち溢れている。最大の懸念はユダヤによる腐敗である。

 この奇妙ともいえる言説は、エリツィンの経済顧問のセルゲイ・グラジエフに影響を与え、グラジエフはプーチンの時代にはユーラシア統合担当顧問に任命されることになる(上123—128ページ、カッコ内の数字はページである。以下同様)。

 

 三人目、アレクサンドル・ドゥーギン(1962年-)は、西側への攻撃志向がより明瞭で、西側は「腐った文化的堕落と邪悪、詐欺と冷笑、暴力と偽善の温床だ。民主主義は西側にとって、再生どころか迫りくる変動の兆候であり、2012年にオバマアメリカ大統領に選ばれたことに対しては、「オバマアメリカを滅ぼさしめよ。正義に最終的に勝利をおさめさせよ。さすれば、‥‥その忌むべき経済と政治の力を全世界に拡散し、‥誰彼かまわず戦いを挑むアメリカは、さっさと退場しよう」と発言した(上131)。  

 このドゥーギンは、しばしばマスコミに登場し、社会に影響を浸透させた。さらに、ドゥーギンとともに右翼のシンクタンクを立ち上げた修道士ティホン・シュフクノフは、著書がベストセラーとなり(2012年)、プーチンはヴォロディーミルの生まれ変わりであるという言説を打ち上げることになる(上133)。

 ドゥーギンは「独立したウクライナ国家などロシアがユーラシアになる運命を阻む障壁」であるとして、国の支援を受けウクライナ解体とロシア化を訴える青年組織「ユーラシア青年同盟」を設立した(2005年)(上132)。

 

 以上3つのファシズム的潮流、すなわちイリインのキリスト教全体主義、グミリョフのユーラシア主義、ドゥーギンのユーラシア的ナチズムが、2012年の政治的混乱のなかで出口をさぐっていたプーチンのなかで合流し、政治体制に組み上げられることになる。

 

 以上が、スナイダー本の上巻の紹介である。下巻は趣が変わり事実に関わる叙述が多くなる。

 第5章では、2014年のクリミア併合以降のウクライナ・ロシア情勢の説明が行われる。簡単に紹介したい。要は、2014年以降にはすでに現在のウクライナ戦争と同様の戦闘がウクライナ東部のロシアの命名するところの「ルハンシク人民共和国」と「ドネツク民共和国」で行われてきたこと。現在のそれに比べれば、規模は小さいものの、ロシア軍としてチェチェンオセチアの部隊も送り込まれ、軍事施設にとどまらず民間施設にもおかまいなく攻撃が加えられ、ロシアの行動の摘発や公開にもすべてフェイクであると否定する手法はこの時期から露骨になっていたこと。また、ロシアの内側からしても、「嘘をつくほうが、ロシアの政治階級を分裂させるのではなくむしろ結束させるのだ。嘘が途方もなく明々白々なものであるほど、臣下たちはその嘘を受け入れることで忠誠心を示そうと逸り、クレムリン権力の巨大で聖なる神秘に進んで加わろうとする」(下7)。この言葉は西側の記者がクレムリンの当局者の話しを基にして記したものだが、それこそ嘘ではなくクレムリンの実相が現れているとスナイダーはいう。

 

 最終の第6章は一転してアメリカに目を転ずる。トランプが選出された大統領選挙へのプーチン体制による関わりが指摘される。サイバー空間による介入のほかに、選挙戦の途中までトランプの選挙対策本部長であったポール・マナホードがオリガルヒのデレク・デリパスカに雇われており、選挙対策本部長を務める間もデリパスカへの借金を抱えていたこと、トランプタワーに事務所を構えていたロシア系アメリカ人のフェリックス・サターとトランプは密接な関係にありサターがロシアから調達してくる資金がトランプに流れていたこと、等々が紹介される。陰に陽に展開されたプーチン体制からのアメリカに向けての画策について、プーチンは、「トランプがアメリカの民主主義を踏みにじり、この自分(プーチン自身‥引用者)を食いとめられる強固で不動の柱であるアメリカを破壊できずとも傷つけられはすると」考えていたことが側近だった人物の言をもとに紹介されている(下86)。

 

 以上がスナイダー本の紹介である。各思潮の解釈の正当性や事実の認定の正確さは、正直に言って私には判断しかねる。しかしながら、この本に漂うロシアの不可解さや不気味さは、現在のウクライナ戦争が開始されてから受けるそれと驚くほど似ている。これは印象批判に過ぎないわけだが、少なくともこの本は、近年のロシアの政治体制や思想界がすでに2014年には現在のウクライナ戦争をもたらしたものに限りなく接近していたこと、そして世界はそうした情勢を少なくとも2014年以降はこのうえなく切迫したものとして受け止めなければならなかったことを教えている。私はそう感ずる。

 あえて言えば、スナイダー本は、確かに言説の紹介には断片性が強く、首尾一貫した体系性を以って現在のロシアのファシズムをとらえているとはいえない部分がある。またこれまでのファシズム論がファシズム成立の要件として指摘してきたファシズムの大衆運動的性格に関する叙述が弱く、思想史的説明に偏っていると言えるかもしれない。そのように言っても、スナイダーのこの本の訴える切迫性はきわめて丁寧な状況分析に基づけられていたものと、くりかえして言っておきたい。

 

 ラリュエル『ファシズムとロシア』について 

 ラリュエル本の紹介に移る。ラリュエルはロシアの捉え方に関してはスナイダーとは立場を異にすることを明言しており、スナイダー批判にもかなりの紙幅を当てている。ここでは、ラリュエル自身の所説を紹介したい。むろんラリュエルもロシアの現状をきわめて批判的に見ているわけだが、それをファシズムとしてではなく、「反リベラリズム」ととらえる。反リベラリズムという術語には次のような意味を込めている。すなわち、反リベラリズムリベラリズムとは真逆のものとは言えず、「リベラリズムを経験した後にリベラリズムを押しもどすようなポスト・リベラリズムともいうべきイデオロギー」であり、「中国のようにリベラリズムを経験していない体制で今日生じている変化」はそれには該当しないものであるとされる(54)

ラリュエル『ファシズムとロシア』

 次に政治機構のありかたに沿った説明を引いておく。

プーチン体制は反対派リベラルを非合法化することに注力し、反体制の原動力となり得る国民の怒りを回避するために非政治的表現には(政治色の薄い意思表示ならば‥引用者)可能な限り自由空間を許容しつつ、プライベートで忙しい市民や生活に満足している個人を歓迎している。こうした特徴は権威主義体制の典型である」(263)。

またこのようにも言う。

「ロシアの政治体制とロシア社会との関係は、単なるパトロン=クライアント関係、権威主義以上のものである。その関係は国民と暗黙の社会契約に基づいており、たえず交渉し直され、体制の選択肢を限定する。‥体制は、草の根レベルのトレンドから絶えずインスピレーションを得、取り込もうとしているが、西側のウオッチャーたちはしばしば、この数多くのボトム・アップのダイナミクスを見逃してしまう」(164)。

 ラリュエルはプーチンの体制も、この引用にみられるようにヨーロッパ政治の多元主義の枠のなかにはいっているものと位置づけるのである。また、それが全体主義でも独裁制でもないひとつの根拠として、とくに独裁制を政治機構面から薄める可能性をもつ官僚機構ができつつあることを指摘し、次のように言っている。

 「大統領府は、3つの生態系*の中では最も新しい。人材も最も若く、イデオロギー的言語は広い範囲の領域から影響を受けている。その中には、西側の政治キャンペーンやマーケティング、反体制派や少なくとも地下活動を含むソ連後期のペレストロイカ文化、ポスト・モダン理論にアメリカのネオ保守主義、消費主義、グローバリゼーションの語り、中国の転換、等々が含まれる。大統領府はこれらの生態系の中では最も折衷的であり、1999年から2011年まで第一副長官を務めたウラジスラフ・スルコフ**(1964年-)は、そのイデオロギー的借用の中にこの雑多な型を完璧に体現している」(166)。

  *=大統領府、軍産複合体正教会

  **=スルコフは、評価がむずかしい人物であるようだ。スナイダーのスルコフ評 

  はスナイダー著第2章を参照。

 

 次に、この本で、ロシアからウクライナがどう位置付けられているかを見ておこう。

 「プーチンは、キエフのポスト・マイダン政権をファシストだと明確に呼んだことはない。しかし、クリミアを 母国ロシアに再統合したことを祝う2014年3月18日の演説で、ウクライナの(社会運動‥引用者)を‥「ナショナリスト、ネオ・ナチ、ロシア嫌い、反ユダヤの連中がこのクーデターを実行した‥とはっきりと述べた」。そして、さらにプーチンウクライナの2014年前後の政治動乱について、「「我々は皆、第二次世界大戦中のヒトラーの協力者であったバンデラのイデオロギーの遺産の意図を、はっきり見ることができる」‥そしてロシアは再びウクライナファシズムと戦うのだと暗示した」(151)。

 この発言をさかいに、ロシア自由民主党(LDPR)やロシア連邦共産党(CPRF)などの政党も同じような言説を流布させることになる。くわえて、「アメリカ合衆国を隠れたファシズム国家という枠にはめる冷戦期の決まり文句も復活し、だからワシントンD.C.(そしてブリュッセルも)がユーロ・マイダン革命を支援するのだと説明され、これによってロシア・メディアでは既に強力だった反西欧的な語りが一段と強まった」(153)とされる。

 これらの結果、2015年の独立系世論調査機関であるレヴァダ・センターの調査結果では、「ファシストウクライナで権力に入り込んだ」、「ウクライナの新政府は反ロシア的な政策を遂行するにあたって欧米諸国の利益を表している」とする見方に4分の3の回答者が「まったくその通り」「大いにそう思う」と答えた(151)。また、Googleの検索頻度(100件当たり件数)でみても、「ファシズム」の頻度が2014年前後からは、とくに戦勝記念日を挟む4月下旬から6月下旬にかけて低くても30%後半に達するようになっていることも紹介されている(156—157)。

 このように2014年以降のロシアでは、ウクライナへの見方が一定の物語性を帯び始め、民衆レベルの観念・記憶として定着する傾向があったことが指摘されているのである。この点ではラリュエル本は、ロシアはファシズムではないとするものの、ファシズム的なものが大衆レベルに拡がっていたことを教えてくれている。

 

 以上が、2冊の本の紹介である。私の評価は、文中でふれてきたのであらためて述べることはしない。原書の出版がラリュエル本のほうが2年後であり、より現在に近いところからの観察であるにもかかわらず、的を外したと言わざるを得ない。翻訳が出たのが侵攻の2か月前だったこともよけいにそうした印象を与える。その点は気の毒だともいえよう。ただし民衆レベルの思想状況に分析が及んでいるところはラリュエル本の長所である。

 

 

(補足)近年のティモシー・スナイダーへの批判について

 スナイダー『自由なき世界』へ評価はすでに述べているのでくりかえさない。ところが、近年スナイダーの研究には、私に言わせれば聞き捨てならない批判・論難が寄せられており、ここではその論評を行っておきたい。

 

 スナイダーの声望を高らしめた『ブラッドランド』(原書2010年)、『ブラックアース』(原書2015年)には、アウシュビッツスターリン体制下の殺戮(1930年代のウクライナの大飢饉、大粛清、独ソ秘密合意で併合された地域での殺戮など)を一連の歴史として捉え、またそれによる政治的殺戮史におけるアウシュビッツの相対化を読み取ることができるとして、批判が加えられる向きがあった。スナイダーによる今日のロシアとウクライナへの理解に関する批判者は、スナイダーは今日の体制を必要以上にスターリン下の体制と近似的に見ようとするがゆえに、事態を冷静にとらえ損なっているとする。

 そうした批判者のなかには、スナイダーはプーチン・ロシアを絶対悪であるとし、他方でウクライナを善とし激励する「扇動家の道にまよいこんでしまった」と評する者もいる。そうしたスナイダーの「冷静さを欠く議論」の展開は、一度はウクライナもヨーロッパ型の国民国家の形成に向かうかに思えたものがプーチンの野望による国家喪失の危機を迎えたことによる絶望感からくるスナイダーの「精神的危機」と「無縁ではない」とみる論者までいる。また、そもそもウクライナ危機の始まる前のウクライナの歴史書であるスナイダー『赤い大公』(原書2008年)が貴族の伝記によるウクライナの政治・歴史の透視であり、「歴史小説のとりあげるべき素材」であったものを研究書として刊行したことが理解できないのだという言い掛かりともいえるスナイダー評まで現れる始末である。

 しかしながら、スナイダーのウクライナ論はおくとしても、ロシアの状況論はすでにこの書評でみてきたように冷静さを欠くものではない。たしかにそもそも神学的言い回しを多用する思想史家の言辞を引いた説明をせざるを得ず、スナイダー自身もそうした修辞が嫌いではなく、調子をあわせている面がなくはないかも知れないが。

 

 肝心なのは、そのような修辞も手伝ったスナイダーによる2014年以降のウクライナ情勢の叙述と解明、その政治的切迫感を、どれだけ、どのように2022年2月24日までにわれわれが受けとめることができていたか、このことなのである。

新たなウクライナ戦争論・松里公孝『ウクライナ動乱』書評

     松里公孝『ウクライナ動乱』(ちくま新書)2023年

 

 本書評は、研究会の口頭報告を文章化したものである。

 

 Ⅰ. 本書の特徴

松里公孝『ウクライナ動乱』ちくま新書,2023年

 

 実証研究である本書は既存の文献・資料にくわえて、著者によるウクライナ政治の当事者への聞き取りに依拠している。聞き取りの対象は、政治家(ドンバス地方の二つの「人民共和国」の創設に関わった者など)、オリガーク(財閥経営者)、州知事、学者である。著者松里は出入国にも困難を伴ったであろうウクライナ東部で2014年8月頃、2017年聞き取りを行い、本書に盛られたその記録は貴重な政治資料・証言ともなっている。

 本書の視点というべきものは二点ある。第一点。露ウの政治・軍事関係をウクライナ(とくに東部ウクライナ)にそくして描く。これまでの2022年2月のウクライナ戦争(本稿では2022年2月に始まったロシア・ウクライナ間の戦争をウクライナ戦争ないし露ウ戦争と呼ぶ。以下同様)に関する研究には、ロシアに関心を向け、なぜロシア・プーチンは進攻したのかを考える研究が多い。本書がウクライナ側からウクライナ戦争を描こうとするのは、同戦争を招いた要因はウクライナ側にもあったはずであり、そこをしっかりと見据えておきたいという意図がある。なぜ、そうした視点をとるのかについては、著者の言いかたを借りれば、「プーチンを倒したころでウクライナはよくない」からである 

塩川伸明編『ロシア・ウクライナ戦争』東京堂出版、2023年  

露ウ戦争の開始前からのロシアの変化を描いた著作に、T.スナイダー『自由なき世界』上下(池田年穂訳)慶応大学出版会、2022年、M.ラリュエル『ファシズムとロシア』(浜由樹子訳)東京堂出版、2022年

なお、上記塩川編に、大串敦「現代ウクライナ政治」が収められており、これもウクライナを内から描く貴重な論稿である。

  

 第二の視点は、今の露ウ関係、ウクライナの政治のありかたをソ連の解体からの流れ、つまりソ連の解体から直接につながったものとして捉える方法的視座である。詳しくは後のⅢでふれる。

 

 Ⅱ. 事実の展開の整理:時系列で

 

 本書の歴史的経過に関わる叙述は上記の第二の視点にもとづいてソ連の解体期、ウクライナの独立の時期から始まる。主な事実を時系列で拾ってみよう。

 1991年8月 ウクライナ独立宣言。そのさいエリツィン派は、独立するならクリミアはロシアに返せ! と主張したが、エリツィン自身は、当時あった独立国家共同体CISのヘゲモニーを握ることを考えており、そのためには「(ソ)連邦構成共和国の国境をもって新国家の領土とする」を原則とするとしたほうが都合がよいと考えた(pp.65-66)。

1995~96年 ウクライナ クチマ大統領期。クチマ外交によりウクライナ政治は内外に相対的安定を保つ。NATOの東方拡大があったもののウクライナNATOにもロシアにも中立の立場であった。

 2000年頃 NATOによるユーゴスラビア空爆をさかいにクチマ外交が変化。NATO志向へ傾く、それをめぐり国内は分裂(pp.73-75)。

 2004年 オレンジ革命ウクライナの場合、中央政府が独裁的でないため、反腐敗・半汚職運動にとどまる。

 2008年 南オセチア戦争(グルジア)勃発。ウクライナ内政に刺激。

2013.12月~14年2月 ユーロマイダン革命。

 

(ユーロマイダン革命以降は、表1にそって説明する)

 

                表1

 

 表1

 

     ウクライナ 政府

  ドンバス(主にドネツク) 

     クリミア

2013,11

ヤヌコビッチ政府 EUとの連合協定調印停止→抗議・反政府運動盛り上がる

プーチン大統領補佐官スルコフがロシア入り、ドンバスに現地担当を常駐させる(~20年)

 

2013,12

 

 

最高会議議長コンスタンチノフ マイダン派を取り締る(「ヴァンデラ運動=ネオナチだ」)。モスクワと行き来。キエフ政府を批判。反マイダン盛り上がるpp.221

2014,1

 

 

キエフに反マイダン運動家送り込む

2014,2

2.20スナイパー虐殺事件

2,21 ヤヌコビッチ大統領逃亡

 

2,21 州議会 分離派「人民共和国」樹立の住民投票を要求、キエフへ税を納めるな!

*ロシア語話者比率:クリミア80%、ドンバス60%程度。

 

 

・連邦派 連邦化要求 →キエフにより拒絶

‣アフメトフ(最大オリガーク) 分離派容認

→分離派勢いづくpp.308-309

・反マイダン運動盛り上がる(⤵ロシアは動きなし)

・最高会議荒れる(反露/マイダン派v.s.分離派)→

2,27 ロシアがクリミア最高会議周辺に派兵p.236

2,27最高会議がアクショノフ(ロシア統一党)を首相に選出

2014,3

 

3,2タルータ(中間派、反露)州知事に。キエフと連携し「国民衛兵隊」創設

3,16 住民投票 9割程度ロシア編入に賛成

2014,4

 

政府 ドンバスに対テロ作戦開始(主力は国民衛兵隊)

4,6~7 分離派 州議会占拠、「最高会議」開設、ドネツク民共和国独立宣言 pp.319-20

4,7以前 「コルスン・ポグロム」(キエフに派遣の反マイダン部隊のバス爆破さる)→反マイダン高揚

 

 

4,27 分離派 ルガンスク人民共和国独立宣言

 

2014,5

 

分離派住民投票要請v.s.政府抑え込み→武装闘争化、共和国v.s.知事の二重権力状況 p.324

*5.2 オデッサ労組会館放火事件(反マイダン派の拠点が襲撃さる)、クリミアにもshock

 

 

5,7プーチン 住民投票反対表明pp.321-322

5,11分離派 住民投票実施 ドネツク「独立」

ウクライナ(政府)軍介入 →戦闘激化

 

2014,5

 

 大統領代行トルチノフ

5,14 ドネツク民共和国 憲法「制定」 

・最高会議議長ボロダイ、国防大臣ギルキン(以上ロシア市民)、副首相アレクサンドロフ     

 

 

5,25ポロシェンコ 大統領へ 

5,26政府軍 ドネツク空港空爆

 

ドネツク空港空爆により 戦争状態へ p.326

政府軍押される-州都をマリウポリへ p.325

 

2014,8

 

8,17 政府軍 ルガンスク市中心部突入、ドネツク市完全包囲

プーチン 「共和国が滅びない程度に助けるが分離独立するところまでは助けない」p.350

 

2014,9

9,16ウクライナ最高会議 ドンバスの共和国に首相制、準軍事組織保有認める p.146

 

最高会議選挙 ロシア統一党(アクショノフ)圧勝

以降、アクショノフ長期政権へ

2014,11

 

両共和国 最高会議議員選挙(以降、ウクライナ選挙から両共和国抜ける)、首相選出

 

2015,2

 

ミンスク合意2

政府軍v.s.共和国軍、共和国側の勝利つづく

 

 

2015~2018

政府 ドンバスを経済封鎖

経済停滞-アイデンティティ政治(地名のウクライナ化など)

炭鉱閉山相次ぐ、炭鉱・鉄鋼所連携できず

オリガーク国外流失 pp.412-414

 

2019,4

ゼレンスキー 大統領へ

 

 

2019,12

ゼレンスキー ミンスク2否定、共和国への攻撃強化

 

 

2022,2

 

2,24露ウ戦争開始

2,18共和国子ども・女性をロシアロストフなどへ疎開 p.437

 

 

 

表1は、ウクライナ中央政府、およびウクライナ国内をドンバス(ドネツク州、ルハンシク州を指す)とクリミアの二つの地域にしぼって、時期を追いながら本書でふれられている主な出来事を整理したものである。二つの地域に限定したのは露ウ戦争への流れをたどる際の焦点となる地域であるからである。

2013年11月、ヤヌコビッチ政府はそれまで進めてきたEUとの連合協定の協議を停止する。それを機に、国内各地で反ロシア派による抗議・反政府運動が盛り上がり、「ユーロマイダン革命」が始まる。運動はキエフを中心に持続し、2014年2月20日に「スナイパー虐殺」呼ばれる事件が起き、それをさかいに主導権が反政府派に移り、ヤヌコビッチがロシアに逃亡し、政府統治が不在の状態におちいる。

本書はユーロマイダン革命の経緯の詳細には立ち入っていないが、この出来事はその後のウクライナ各地の政治状況のきわめて重要な画期となる。

表1にみるようにドンバスとクリミアは、ユーロマイダン革命の与えた影響に関しては対照的である。まずはクリミアからみていきたい。

クリミアもドンバスもロシア語話者の多い地域であり、ドンバスが60%程度であるのに対しクリミアは80%程度がロシア語話者である。そのことからも想像できるように元来より親ロシア的であるクリミアはユーロマイダンの盛り上がりに対しても極めて慎重であり、マイダン派・反政府派が運動の象徴とする「バンデラ再評価運動」にしてもネオ・ナチ的要素が濃いとみられており、市民の間にも反マイダンの機運が充満していた。2014年1月はキエフに反マイダンの運動家を送りこむなども行われていた。2月に入ると、州最高会議でロシアへの編入のための住民投票を実施すべきとする動議が出され、それに反対するマイダン派との間で議会は荒れた。当初ロシアはそれにさいし特段の動きを見せていたわけではないが、同月末には議会周辺へ軍を派兵するに至った。3月に入り、住民投票が決議され、同16日投票者のおよそ90%の賛成でロシアへの編入が決まった。

9月には最高会議選挙が行われ、ロシア統一党のセルゲイ・アクショノフが首相に選出された。アクショノフは現在でも政権を保ち安定した政治力を維持している。このようにクリミアでは、ユーロマイダン革命をさかいにロシアからの一定の直接のテコ入れがあったにせよウクライナ中央政府からあきらかに離脱する方向が決定的となる流れができあがった。

目をドンバスに転じよう。ドンバスにはユーロマイダン革命時には反政府派としては、ウクライナからの分離独立を求める「分離派」と、国の統治システムを連邦化し自州を一つの連邦内国家として自立を求める「連邦派」が存在した。2014年2月21日のヤヌコビッチのロシア逃亡を機に、分離派は州議会で「人民共和国」樹立のための住民投票の実施を求めた。連邦派も国内の連邦化を求めたが、中央政府からは拒絶された。分離派もいったんは立ち止まったものの、国内最大の財閥(オリガーク)であるリナト・アフメトフの分離派容認発言に勢い付けられ前面に躍り出た。一方、中間派として州知事の座にあったセルヒー・タルータは中央政府と連携し「国民衛兵隊」という義勇軍を創設し事態に対応する姿勢を整えた。

4月に入ると、ドンバスの一方の州であるドネツクで分離派が議会を占拠し「最高会議」を開設し「ドネツク民共和国宣言」を公にした。同下旬にはルガンスクも「ルガンスク人民共和国独立宣言」を発した。その後、分離派は住民投票に向けた動きを強め、中央政府はその抑え込みに走った。武力対峙も生じ、人民共和国と知事との二重権力状況を呈するにいたっていた。

そうした状況に対して、ロシアも絡み始めていたが、プーチン住民投票には反対するとの意思表示を行った。それは、400万の人口を擁するドンバスが分離独立するならウクライナの総選挙などの政局においてロシアからの意向を反映させるための梃子が失われることであり、ロシアにとって得策でないとの判断があったからだとされる。

5月にはドネツク民共和国は「憲法」を制定し、最高会議議長が選出され、内閣も編成された。議長と国防大臣にはロシア市民が就任した。他方、5月下旬にはウクライナの大統領選挙が行われ、空席となっていた(代行は置かれていた)大統領にポロシェンコが当選した。ポロシェンコは就任早々ドネツク空港に空爆を加え、ドンバスの2共和国への対決の姿勢をあらわにした。それをさかいに政府と両共和国は戦闘状態に入った。戦況は一進一退で、ドネツク州は州都をドネツクからマリウポリに移すなどをよぎなくされるかと思えば、ドネツク市が政府軍に完全包囲されるような状況であった。このようななかにあってロシアはどうであったかと言えば、「共和国が滅びない程度には助けるが分離独立するところまでは助けない」(プーチン)という姿勢であった。

東部におけるこのようないわば内戦状況のなか戦線は膠着状態におちいる。2015年には独・仏を中心に仲裁が入り、ウクライナは国際的合意を結ぶことになる(同2月)。そのうちのミンスク2と呼ばれる合意は、①東部での戦闘を停止すること、②ドンバス2州に対し特別な地位をあたえる分権化(連邦化)を憲法に明記することを主たる内容としていた。

この国際的合意ののちウクライナは一定の落ち着きをとりもどすが、ドンバス2州には政府による経済封鎖が実施され、それでなくてもかつてのソ連時代の有数の工業基盤は衰微をつづけていたところでもあり、見る影もないくらい経済基盤は衰えてしまっていた。鉱山の閉山は相次ぎ、オリガークの海外流出もつづいた。結局、大統領ポロシェンコは経済の建てなおしには成功せず、ウクライナナショナリズムに訴えるアイデンティティ政治をおし進めるしか術はなかったけれども国民の統合の見込みは立たなかった(2015~18年)。

2019年4月政権はゼレンスキーに移った。ゼレンスキーは、早々にミンスク2の②(ドンバスの両共和国の連邦化)の拒否を明らかにし、ドンバスの統合、両共和国への攻撃に乗り出す。

そこから2022年の2月24日のロシアによる軍事進攻まではおおよそ2年半である。

 

 

 

Ⅲ. 事実の捉え方について

 

ソ連解体と分離政体〕第1章

下記の図にソ連時代の連邦制のありかたを図示した。マトリョシュカ連邦制と呼ばれている。連邦があり、そのもとに連邦構成共和国、そのもとに自治単位とされる政治単位が置かれる構造である。連邦構成共和国とは、ウクライナグルジアアゼルバイジャンなどを指す。自治単位は、ウクライナであればそのもとにクリミア、グルジアであれば南オセチアアブハジアアゼルバイジャンにはナゴルノカラバフが存在する。

 

ソ連末期において、連邦法規によれば、連邦構成共和国が独立しようとする場合の規則は二つあった。

①「1990年4・3法」:連邦構成共和国(15か国)は住民投票により分離可、自治単位は分離できない。ただし自治単位は住民投票によりソ連邦に残留は可能。

②uti possidetis juris:国家が解体した時はそれまでの行政区画線が国境となる。これはソ連邦の規則というより国際法一般の原則というべきものである。

 

ソ連邦の解体後は連邦構成国は独立していったが、上記の①を使ったのはアルメニアだけであった。アルメニアには域内に自治単位がなかったから①が使えた。

自治単位からすれば①が使えないならば連邦に残る(ロシア共和国に残る)こと途も使えないことを意味した。ソ連解体後の過程では、自治単位は分離・自立の動きを激しくすることもめずらしくなくなった。そうした自治単位は分離政体とか未承認国家とでも呼ぶべき存在となったわけである。分離政体・未承認国家にとって方向性として考えられたのは、次のようであった。

(1)民族自決

(2)land-for-peace:これは歴史的事例に基づくと言うべきであり、例示としてアイルランドが独立するさい北アイルランドを親国家である連合王国に置いていった事例。ウクライナとロシアの関係になぞらえるなら、クリミアをロシアに置いてウクライナが独立するという筋書になる。

この(1)(2)については、(2)がナゴルノカラバフ(とアゼルバイジャン)、アブハジア(とグルジア)の場合に一時浮上したことはあったが、実現しなかった。民族自決原理も理想でしかない。

結局、uti possidetis jurisに戻っただけともいえた。マトリョシュカ構造のままであった。自治単位にとって分離の見通しはなく、不満はたまる。国連が何かできたかといえば、国連は自治単位・分離政体を内部にかかえた連邦構成共和国の承認を急ぐばかりであり、国連は「破綻国家製造装置」でしかなかったと著者は言っている。

 

〔分離政体の先行きをどう占うか〕第5章、第6章

1.上記のように自治単位・分離政体を捉えた本書は、その将来をどのように占っているか。ウクライナのドンバスの二つの「人民共和国」こそ、分離政体であるが、そもそもこの分離政体がどれほどの実体をもっていたかを、ドネツク民共和国を例に見ておく。

(露ウ戦争開戦以前の状態であるが)、普通選挙制度、最高会議、最高会議議長、首相政、独自の軍隊(「準軍事組織」)、を備えていた。人口は230万人。領土は、「州」の三分の一。

経済状況は、かつてのソ連時代の主要工業地帯であった時分に比べその基盤は大きく失われていた。オリガークも多くが海外に流出した。

 *開戦後の状況については、次のように紹介されている。共和国の軍隊は、ロシア軍と連携して(ないしロシア軍に組みこまれて)オペレートした。ロシア軍12万+ドンバス両共和国軍3万5千(ロシア・ドンバス合わせた半数がドンバスとする記述もある)。両軍の分担関係は、地上部隊を担うのが共和国軍であり空てい部隊はロシア軍が担う。両軍の連携が悪く、ドンバス軍の練度も低くかったため戦闘力は低かった。

このような「ドネツク民共和国」は、分離政体・未承認国家ながら、準国家に近いものになりつつあったとみてよいと考えられる。

 

2.分離政体の先行きの方向、5つの方向

本書は一般論として、自治単位・分離政体の将来に関しては次の5つの方向が考えられるとしている。

①連邦化

②land-for-peace

パトロン国家による保護国

④親国家による分離政体の再征服

パトロン国家による親国家の破壊

これらについて、次のように解説を加えている。①連邦化は、合理的に見えるが、社会主義解体後に連邦化により再編に成功した例はほぼないとする。コソボ紛争のさいのデイトン合意にはその兆しはあったとするが。

②の場合は、国境の変更が伴うことが考えられるので、分離政体に不満が強く残る。国際機関も国境変更には賛成できないだろう。提案はされることもあり得るが、進まないであろう。

③は実例がある。パトロン国家が強大であるなら親国家が諦める。南オセチアアブハジアのケースのグルジアなど。しかしこれにも大きな短所がある。親国家の反感は半永久的になる。ソ連解体後の場合は、親国家がNATOに近づくケースが多く、紛争ぶくみになる。結局③は⑤につながりやすい。

④は例が多い。アゼルバイジャンの第二次ナゴルノカラバフ紛争など。スリランカのタミルの虎のケースなどもそれである。

⑤は、他ならぬ露ウ戦争がそれである。

 

3.露ウ戦争をどう位置付けるか

これはロシアとウクライナの戦争なのか。それにとどまらず、ウクライナと(ロシア+ドンバス両人民共和国)との戦争なのではないか。著者の捉え方はおそらく後者である。

ポロシェンコが始め、ゼレンスキーが軍事的にやろうとしたのは上記の④ではないのか。

そうした動きにプーチンがどこまで付き合うかは、2022.2.24の開戦直前まで迷いがあった。“両共和国が滅びない程度には助けるが、分離までは助けない”がプーチンの言である。しかし実際は⑤に移行した。この極めて短期での変化は本書でも分析できていない。ただし、プーチンはそんなにお人好しではないことは確かであって、侵攻するなら、両共和国を助けるにはとどめずウクライナの領土も獲る、獲る以上はドンバスにはとどまらない。ドンバスはいまのロシアとは工業基盤としては重なり魅力は乏しい、ヘルソン州、サポリージャ州、さらにはモルドバ沿ドニエストル地域まで視野に入れると考えるようになったのではないか。

 

4.松里の結論:露ウ戦争をどうとらえるか

・国家ウクライナについて。領土には適正規模がある。それをウクライナはかみしめるべき時だ。クリミアはいうまでもなく、ドンバスの両共和国も内から出てきた分離政体である。もっぱらロシアによって押し上げられた存在ではない。ウクライナ東部のハリキウでも切り離したほうがすっきりするという見方が公にされているくらいだ。ウクライナにとってはこれらの分離政体とは別れたほうがよろしい(ウクライナから切り離したほうがよろしい)。

・ドンバスの両共和国の先行きについて。以下は、本書の叙述をもとに評者の連想を加えたものである。プーチンの侵攻がなければ両共和国やクリミアはどうなっていただろう。共和国が存続しているのなら、共和国は(ウクライナから)分離もせずNATOへも行かず自立を試みているだろう。たしかにウクライナの内にいながらそうした位置を保つのは容易でないだろうが。とまれ、今戦っている兵士はまずは“共和国側であると否とを問わず故郷へ帰ってほしい。西側・オバマと生きたいならどうぞ。10年後生活水準がドネツクのほうが高かったら我々(共和国)の選択が正しかった。そうでないならウクライナは一つになっているだろう”(ボリス・リトビノフの言葉の要約 pp.357-358)。

書評・石田光男/上田眞士『パナソニックのグローバル経営-仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房2022年

[書評] 石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営-仕事と報酬のガバナンス-』(2022年1月、ミネルヴァ書房

                                   富田義典

 

本書の課題はパナソニック社(以下P社)のグローバル経営の構造を明らかにすることである。諸篇は綿密な体系をもって構成されており、できるだけ丁寧に読み取るために全章を順を追いながら紹介していきたい。

第1部第1章「課題と方法」(石田光男)。ここは言うまでもなく方法論の章である。方法論として検討されているのはグローバル経営論、資本主義の多様性論、制度の経済学、内部組織の経済学などである。重視されているのはバートレット/ゴシャール(1990)、青木昌彦(2011)、O. E. ウィリアムソン(2017)である。三者とも分析視角として一部取り入れられており、次のように評価されている。バートレットらは多国籍企業の事業を事業軸(製品の多様性を維持する力)と地域軸(多様な市場を取る力)をすえて捉え、両軸を維持できた企業がグローバル企業として存続できるとした。観察結果と2つの軸に視点をあてた分析法は評価できるが、バートレットらには経営過程のなかを観る視角が欠けているとされる。

制度の経済学としては青木を検討している。青木(2011)は組織(会社)を経営者と労働者の集合認知の組み合わせであるとする。その組み合わせには、経営者と労働者の間の「垂直的集合認知様式」と労働者間の「水平的集合認知様式」(労働者とはトップマネジメントを除くすべての従業員とされる)とがある。前者は「ヒエラルキー型」と「同化型」のいずれかのタイプ、後者は「同化型」と「カプセル型」のいずれかのタイプに二分される。組み合わせは「組織アーキテクチャ」と呼ばれ、企業組織の性格をかたちづくる。組み合わせは単純に数えれば2×2となるが、米国型、日本型、ドイツ型、シリコンヴァレー型などの類型が見出されるとする。本書はその類型化にはリアリティがあると評価するものの、組織アーキテクチャと近接して用いられているコーポレイト・ガバナンス(以下、ガバナンス)という術語への意味付けが甘いとする。ただし青木の所説にはガバナンスの観察のための示唆も含まれているとして、上記の垂直的集合認知様式と水平的集合認知様式を、縦のガバナンスと横のガバナンスという分析軸に仕立てて第2部からの実証編にとり込むことが告げられている。

さらにガバナンス論として、ウィリアムソン(2017)が取りあげられる。同著はそれまでの研究がガバナンスを意思決定の心理などにそくして観ようとしていたのを批判し、取引や契約のはたらきとして捉え、取引の実行は事業「計画」が立てられることにより担保されるとした。しかし、計画の実行には当事者の限定合理性や機会主義がまとわりつくので、なんらかの支えがなければ実行はおぼつかない。その微妙な過程=経営過程をとらえるにも、ウィリアムソンの初期の著作(ウィリアムソン(1980))の「統制」controlと「誘因」incentiveの研究が参考になるとして、統制と誘因のはたらきに目を凝らすのが経営過程研究の勘所であるとして方法の検討を結んでいる。

 この統制と誘因で経営管理をとらえようとする方法は、編者の石田が唱えてきた雇用関係を「仕事の遂行のルール」と「報酬のルール」として捉えようとする方法と立脚点をともにするものであり、対象が雇用関係から経営管理に拡がる本書でも、方法の骨格として保持されるとする。

以上が第1部第1章である。

第2部には「仕事の遂行のルール」(仕事のガバナンス)に関わる諸章が置かれ、第3部には「報酬のルール」(報酬のガバナンス)に関わる諸章が配置される。第2部以降の諸章のタイトルと執筆者は以下のとおりである。

第2部 仕事のガバナンス

第2章 事業計画にもとづく組織業績管理プロセスの全体像(上田眞士)

第3章 原価構築における開発部門と購買部門(上田)

第4章 海外製造拠点における能率管理と品質管理(上田)

第5章 海外販社部門の組織業績管理と仕事決定(上田、竇少杰)

補論 マトリックス経営における地域軸の仕事(西村純)

第3部 報酬のガバナンス

 第6章 本社の人事改革(石田)

 第7章 人事制度グローバル標準化のプロセス(樋口純平)

 第8章 海外販売拠点の人事処遇制度(樋口、石田)

 第9章 海外生産拠点の人事処遇制度(石田)

 終章 学び得たこと(石田)

 

 第2章は、P社の経営組織の変更の説明から始めている。P社は中村改革(2003年)を機に伝統の事業部制を改め事業部をまたがるマーケティング部門を置き、市場の動きにより敏感に対応できる体制を敷いた。その後、深刻な経営危機を挟み、全社をスリム化しマーケティング部門も事業部に取り込む組織に変更するが(2013年)、market inを標榜する組織の基本を変えることはなかった。

 次いで事業計画の作成と実施の過程を観る。その過程は「適応のガバナンス」と「改善のガバナンス」という視角を置いて説明される。適応のガバナンスとは市場の動きに事業活動を適合させるのが任務であり、事業部(以下ビジネスユニットBUと呼ぶ場合もある)の商品企画が国内外の販売部門を集め製品別および内外の地域別販売台数、売価の計画を練り、収支の見通しを建てる。ここまでは計画である。そこからが実施の過程になる。その仕組みは2つの会議体からなる。月次「生販会議」では事業部に内外の生産拠点、販売担当を参加させ、製造・販売・在庫の計画値と実績を突き合わせる。その結果を踏まえ、「決算検討会」で収支の計画値と実績をにらみ対策が練られる。もう一方の「改善のガバナンス」は次章で取り上げられる。

 上の説明にもあるように、新たな分析の視角がここで提示されている。「事業軸」と「地域軸」である。事業軸は、P社の経営の骨格ともいえる事業部の製品企画、製品開発、製造を担う事業部の活動を指す(以下では事業軸を製造部門の意味で用いることもある)。地域軸とは、地域を土台とする市場での事業活動を担う販売部門の活動を指す。

 第3章は「改善のガバナンス」をあつかう。改善のガバナンスとは、市場を取り、収益を増すための取り組みを指す。ここではTV生産部門の「原価企画」を観察している。原価企画とは、製品の開発段階から原価を削り込み確定してゆく過程と、量産開始後に原価低減を行う過程、部品の納入を行う下請企業とP社との間での原価の確定と低減の取り組みからなる。今日の電機産業では「スマイルカーブ」なる言葉に象徴される付加価値産出における製造部門の寄与度の縮小のなかでの取り組みであるから注目される過程と言われている。活動に関わるのはTV事業部の開発、日本母工場(栃木)、マレーシアの生産拠点KM社の開発部門である。内・外の拠点に役割の優劣があるわけではなく受像機のサイズで担当が分かれる。開発チームは各種設計を進め、並行して細かく原価の推定と削り込みを繰り返す(原価企画)。聞き取りの対象としたのは、ゼロからの新モデルの立ち上げではなくいわゆるモデルチェンジのケースである。モデルチェンジの間隔は1年と短く、原価企画は発売予定の前の年度から始まり、順に「企画決済」、「金型決済」、「価格決済」の会議体を経る。企画決済では原価が前モデルの原価との差分(削減額)として企画・提案され決済を受ける。この段階ではまだ製品設計図面は書かれていない。金型決済に移り、そこから設計が始まり部品にまで落とし込んだ原価が提案・決裁を受け、それを以って部品製造業者に発注がかかる。製品全体の原価が計画され売価と生産台数が提案され決済を受けるのが価格決済になる。量産開始後は、モデルの残存期間の1年の間にも原価削減は企画されその段階も原価企画のうちに入る。

 この原価企画で1つのポイントとなるのは部品製造業者との間での取り組みである。それはTV以外の部品の購入も担当する「購買センター」(事業部の上位組織「社内カンパニー」内)の他製品の部品購入もにらんで行う原価企画として行われる。このように他・多部門の横の協力による業務の遂行を「合わせ技」によるガバナンスとこの章では呼んでいる。

 第4章からは目を海外に移す。第4章では、海外生産拠点での仕事のガバナンスをあつかう。対象はマレーシアのTV生産拠点KM工場(前出)と中国の監視カメラ生産拠点NS工場である。両工場とも電子部品の実装工程と総組立工程からなる。印象に残るのは、量産開始後の原価企画で計画された数値をもとに実績をチェックする管理を布いており、それは経営中枢で決められた原価企画の管理指標が現場末端まで降ろされていることを示す。拠点独自の手法として、実装作業1打点ないし1作業当たりの工数(人件費)をベースとした管理を行っており、作業者の数を減らすタイプの改善が志向されていることを示す。この改善は自動化や無人化を基本としており、実行役はエンジニア層である。その推進のための会議体には、現場の取りまとめ役の班長層は呼ばれない。上記の原価管理の会議体にも班長層は呼ばれない。一見すると日本風の現場管理がなされているように見えるけれども、現場からの改善の積み重ねを重視する管理にはなっていない。

 もう1点注目すべきは、現場に外国人労働者(KM工場)や非正規労働者(NS工場)が数多く導入されていることである。これはそうしたことを容易にする労働市場条件があってのことだが、現場の集合認知を積み上げるタイプの現場主義は希薄であることを示している。外部労働者の利用は品質問題への懸念を生じさせ、そのリカバリーのために現場の班長層に期待する向きもあったが、その対応はテクニシャン層(エンジニアに位置づけられる)にあたらせていた。

 第5章はグローバルに展開する海外販売部門を検討する。それは先に掲げた分析視角の2つの軸、地域軸と事業軸との交差するところであり、仕事のガバナンスの研究でも鍬の入っていない部分でもある。調査対象は主にインドネシアの国別販社である。P社の海外販売部門の組織は、P社本社-地域統括会社-広域販社-国別販社の4層からなる。中核部隊は地域統括会社と国別販社である。国別販社は、各地の営業所を従え、事業部の出先としてのマーケティング部門も持っていた。販売部門でありながら事業部も入り込んでいるわけである。国別販社の事業計画は、販売部門と事業部の双方が参加して策定される。それゆえ事業計画は地域軸と事業軸とのマトリックスとなる。地域軸からみればその国で扱っている各種家電品の計画が並び、事業軸からみれば特定の製品(TVならTV)の各国の計画値が並ぶかたちになる。地域軸(販売部門)は各種製品を束にして収益を考えるが、事業軸は特定の製品の収益を基本にする。このようにウエートの置き方が異なるので販社での事業計画とその実施は摩擦含みとなる。

 それもあって国別販社の事業実施過程には念入りに会議体が置かれている。ベーシックなのは「PSI会議」で、Pは販社が事業部から製品を買い入れる(移転)、Sは販社が市場にあるディーラー(量販店など)に製品を売る、Iは販社における在庫である。同会議は市場動向をみながらPSIの値を計画し実施を検証し販売台数や売価の検討を行う。「BPR会議」は、営業所との連絡を密に保ちタイムリーな情報をPSI会議に上げるための会議である。「販売会議」は、より営業の実地に近い情報を集約する役割を担う。「BOD会議」は、社内の全ダイレクターが集う会議である。これら4つの会議には地域軸・事業軸の両方が参加し、両軸の間のやり取りはソフトなものではない。事業部は利益に、販売部門は売上げにウエートを置く。力をもつのは明らかに事業部である。ともあれ、これらから言えるのは、管理のための計画は現場に近いところまで降ろされている(縦のガバナンスは深い)こと、ただしこと販売部門に関しては、ガバナンスは市場内部(店舗)にまでは及んでいないことである。そしてそのような事業部と販売の両部門の絡み合う部面からは、事業のあらたな芽というべきものが生まれている。これは注目すべき動きであり、具体的には、製品ラインナップの欠如を埋めるためにODM(設計段階からベンダーに任せるタイプのOEM)が開始され、また卸売りを介さない販売ルートを拡大するなどがあらたに始まっている。これらは販売部門の発案と責任になるものであった。

 第5章の後におかれているのは補論である。補論ではP社のインド事業がとりあげられる。事業軸で収益を、地域軸で市場の拡大を追求するP社の経営スタイルはインドにも見ることができる。インドで地域軸を担うのはインド地域統括会社-インド国別販社である。この国別販社は製造部門も併せ持っており、収益の責任をも担うかたちになっている。2000年代前半のP社のインド事業は販売分野で苦戦を強いられており、苦戦の主因は製品ラインナップの不揃いによる市場のグリップ力の低下であり、欠落部分を埋めるため地域軸(販売部門)が自らの責任でODM(第5章参照)を実施した。ODMは2012年のTVに始まり、冷蔵庫、エアコン、洗濯機に及んだ。それによってインド事業は黒字に転換した。このインドの実績が示すのは、製・販が近いという経営組織面の特性がインド事業に市場への新たな接近のありかたを構想させる下地となったことである。市場の特性を熟知した販売部門が事業軸(製造部門)を動かしP社経営にとっての新たな方向性の芽を見出したのであり、P社にとっての「地域軸と事業軸との間の取引構造の転換」であると評価できると結ばれている。

 第3部に移る。第3部は報酬のガバナンスの検討である。

第6章は、P社本社の処遇制度をあつかう。P社は2014年に処遇制度の大きな改革を行った。管理者層の制度から観てゆくと、まず等級制度をそれ以前の大ぐくりなものから8ランク区分に変えた。個々人の格付けには米国マーサー社のシステムを用い、10の要素により個々の仕事を分析しその結果を仕事の重みとして格付けを行うこととした。賃金もそのランクによって払われることとし、そのランクごとの重なりはなくシングルレートであり、仕事のランクは毎年洗い直され、かつまた昇給という考え方は介在させない、そのような制度であった。厳格な役割等級・役割給である。組合員層の制度も変更された。組合員層の等級制度は、3つの系列を設けそのなかに3~8の等級を置いた。管理者層の制度に似てはいるものの、賃金へのヒモ付けのさい等級内に段階を設けそこに属人的要素がのこり得る制度になっていた。

 第7章は目を海外に移し、P社の人材管理のグローバル化の現状を観ている。まず着目されるのは第6章でみたあらたな社員等級制度がどのように適用されているかであるが、進められているのは管理者層の等級制度に限られており、米国・中国に一定の曲折を経ながらも適用が進んでいる。東南アジアは進んでいない。次はその等級に人を貼り付けるための評価制度である。2つの制度的試みがある。各自の能力獲得目標を掲げさせその達成度合いを評価するコンピテンシー評価に近い試み、企業の事業目標の実施に自己がどう寄与できるかを掲げさせその達成度合いを評価するものであった。それらを処遇へとつなげるところでは、前者は処遇には直接反映はさせず上司との仕事上のコミュニケーションの梃子として用いるとされた。次いで、賃金水準をグローバル標準に合わせていく取り組みがとりあげられている。賃金水準はそれぞれの当地の労働市場状況を反映させないわけにはいかず、いまだ成果を観るには至っていないのが現状だとされている。

 企業グループとしてのグローバル人材の形成への取り組みの研究は、グローバル経営の研究において重要な論点である。P社でも地域統括会社を中心に経営者層のグローバル人材の発掘と研修の制度が整備され実施も緒についている。ただし実施(2018年)間もないため海外拠点に限定しても経営層にしめる外国人比率は30%にとどまっているのが現状であるとされている。

 第8章は販売部門の海外拠点の報酬のガバナンスをあつかっている。調査対象は中国の地域統括会社とインドネシアの国別販社である。中国についても華北や華南などの各地販社の事情が調べられている。中国では2011年にそれまで販社間で不統一であった社員等級制度の統一を始めている。それによると等級制度は組合員層と管理者層の制度を区分し、組合員層には個人の能力の伸張を評価する等級を設け等級と職位は切り離すかたちにしている。管理者層の制度は、職位の数をにらみながら1つの等級に属する人数を管理する職位とリンクさせた制度としている。等級の賃率へのつなげかたは、組合員層の場合は社内的要素をもとに行い、管理者層のそれは世間相場(労働市場要因)を基礎としている。

 インドネシア販社では、ヘイ社の職務分析をとり入れている点に特徴がある。ヘイ社の手法の採用はアジア大洋州地域統括会社が域内国別販社の等級の標準化を進めようとしている動きの一環である。そこにおける等級の賃率へのつなげかたは組合員層と管理者層とで異なる。組合員層については、最下の等級の賃率を同国の法定最賃の額(≒生計費)にフィックスし、そこから組合員層の最上位に向けて賃金カーブを描いてゆくかたちで各層の賃率が決められる。賃金カーブの傾き具合は団体交渉のなりゆきや企業の管理面の思惑の絡みによって決まってくる。他方で、管理者層の場合は等級ごとの世間相場を反映して決められる。販売部門の等級と処遇の制度は、生産拠点の制度をとくに意識することなくつくられている。これは中国の販社でも同様である。

 第9章では、製造部門の海外拠点の報酬のガバナンスを観る。事実の整理の仕方は、仕事のガバナンスと報酬のガバナンスの連関のありかたに着目してなされるが、そこに媒介項として「労働アーキテクチャ」という観点を設けている。労働アーキテクチャとは機械設備のありかたを含めて労働者の編成と分業のあり方を指す。調査対象は3拠点であるが、みな似ているのでマレーシアのTV生産拠点(KM工場、第4章)に限り内容を紹介する。KM工場ではいわゆる日本風の「工程で作り込む」製造方法が採られている。例えば製造品目の変更のさいの設備切替えによる休止時間を計測し標準値を示し効率と作業の正確さを追求するなど、そうした工程管理を担える人材を養成するため日本人のベテランを教育係として配置するなど、本書で言う縦のガバナンスは深く浸透している。ただし10本あるTVの組立ラインのうち8本は外部人材(派遣)に任されており、そのような細かな管理の実をあげるための業務は管理層やエンジニア層に集中させ、班長レベルもその埒内には入れておらず、管理者層・正社員・外部労働力の間の分業関係の隔たりは大きい。むろん三者の間は離れたままであるわけではなく協力は保たれており、そのことを、離れていきそうなものが蝶つがいで結ばれた状態であるとして、「蝶つがい的接合」の労働アーキテクチャであると銘打たれている。

以上の仕事のガバナンスと労働アーキテクチャがどのように報酬のガバナンスにつながっているのか。等級制度は等級が多段階で、かつ等級内の刻みも多く、管理者層は実績を、組合員層は年功を加味した格付けがなされる。等級の賃率へのつなぎ方については、賃金のうちの成果給部分に特徴がある。管理者層の成果給は社・課レベル、および個人の計画値と実績の結果を反映させ、しかも半年で洗い替えられる。月給の2割が成果給である。組合員層にも成果給はあるが6%程度のウエートで、実績値の反映の具合もゆるい。そもそも管理者層と組合員層との賃率の開きは5倍はあり大きい。まとめると、仕事ガバナンスが稠密に布かれており、労働アーキテクチャは各層がさほど強く接合しているわけでなく蝶つがい的接合であり、報酬ガバナンスは成果給を組合員層にも適用している点で形式的には深いガバナンスになってはいるものの実質は深くなく、労働アーキテクチャが報酬のガバナンスに相似しているとされている。一点注意すべきは、蝶つがいが届くかどうかの境目の辺りに関しては外部労働者はむろん、正社員層でもグレーな部分はあっさりと外部化される傾向がある(とくに中国の生産拠点)とされている点である。

終章に移る。本書では仕事のガバナンスと報酬のガバナンスという観点に、労働アーキテクチャという視点を介在させ(第9章)、くわえて、それらの環境条件をなす当該の国(地域)の労働市場、教育制度、職業訓練などを考慮し、P社が展開するグローバルな経営過程の性格を捉えようとしてきた。2つのガバナンス、アーキテクチャ、環境条件のそれぞれの中身と相互の連関のありかたが経営過程の性格をかたちづくるとされており、終章ではP社の位置を探るために同じ観点等をもとにした日本(国内)と(欧)米企業の特性の観察の結果を対比的に掲げ説明を試みている。表1がそのための表である。「モデル日本」は日本企業(国内)、「モデル(欧)米」は欧米企業の特性を示している。海外生産拠点はP社の海外生産部門、海外販売拠点はP社のそれであり、海外販売部門は本文説明をもとに評者がつけ加えたものである。中央の二者がモデルと銘打たれていないのは、見出された中身に型らしきものは観られるけれどもモデルまでではないという含みがあるからである。

            表1挿入

モデル日本について。一般的に仕事のガバナンスは報酬のガバナンスにより支えられる関係にある。ところが日本の製造業では仕事のガバナンス(事業計画の実施と結果のチェック)は現場の末端まで浸透しており、報酬のガバナンスにより支えられる必要は少ない。それゆえ報酬のガバナンスが事業計画の実施結果の程度を処遇に厳密に反映させる必要性も小さい。労働のアーキテクチャも経営者と労働者層との間隔は小さく両者は統合的である。それは仕事のガバナンスの深い浸透度と相似形をなしている。次いでモデル(欧)米である。労働のアーキテクチャが、経営者層が職務群にそって縦割りに組織され、それぞれが別々の労働者群と連結される(カプセル型。この形容は青木(2011)に拠る)形になっており、仕事のガバナンスも統合的な事業計画を降ろす様式ではなく、カプセル内の職務遂行者としての責任の自覚に恃む(「職務主義」)ところがつよい。それゆえ仕事のガバナンスから報酬のガバナンスに恃むところも少なく、報酬のガバナンスは職務を基礎に組織された労働市場の動きを反映しているかが合理性を得る根拠とされていれば足りるという性格である。これが(欧)米企業の姿とされている。

「海外生産拠点」はP社の海外生産拠点の特性から帰納された経営過程の構造の説明となる。労働アーキテクチャは、設備編成・労働編成ともに技術者と労働者層との隔たりが小さくなく、現場には外部労働者も多いかたちになっている。むろん各単位がばらばらであるわけではなくつなぎとめられている(蝶つがい的接合)。そのような労働アーキテクチャを受けて、仕事のガバナンスは現場深くにまでは入っておらず、報酬のガバナンスも管理者と労働者層の処遇が一面では連結され、一面では切断されたかたちになっている。最後に、「海外販売拠点」である。この欄は本書のP社の販売部門の実態の説明からその特徴を評者が摘記したものである。労働アーキテクチャは、製造部門とは異質な部門であること、市場が国や地域で異質であることから特定の単位ごとに切断される、カプセル型に近い。それゆえそうした職務の切れ目に沿った処遇のありかたとなり、職務横断的労働市場を引き寄せる特徴がみられる。この海外販売拠点については、後出の問題点の指摘の部分であらためてふれることにしたい。

 

ここからは本書を読んで感じたこと、考えたことを記していきたい。

まず本書の実証の最大の柱である仕事のガバナンスと報酬のガバナンスというワンセットとなった視角である。これは元来は雇用関係を捉えるために編者の石田により唱えられてきた方法である。すなわち雇用関係は労働者による労働支出の提供と経営者によるそれへの反対給付の関係により成り立つとするもので、くだいて言えば、どのような仕事を、どれだけの時間をかけて、どのような質でもって遂行し、どれだけの賃金を払うかに目を凝らすという観察方法を指す。本書では仕事の遂行に関わる管理を仕事ガバナンス、賃金の支払いを報酬のガバナンスと呼ぶ。この観察方法が膨大とも言えるP社の事業=経営管理の全体を捉える下敷きとなっている。この試みは、本書を読み終わってみれば違和感なく、それこそストンと落ちてくる感覚で受けとめられる。ただし、読む前にこの方法とP社の巨大さを念頭におき、いざ自分がその方法で実証してみろと評者が迫られたとするならば気が遠くなるようなたぐいのものであったことはまちがいない。ともあれ、この方法は本書にあっては成功していると言わざるを得ない。たしかに石田がこの視角を提唱した時点の経営や雇用関係と本書が観た時点の実体には、大きな懸隔がある。とくに仕事のガバナンスの対象領域(仕事)は拡がりに拡がったといってよい。当初想定されていたのは製造業の労働現場の仕事にすぎなかったものが、本書ではホワイトカラーによるマーケティング、製品開発、販売に拡がり、製造部門も、コストの削減や収益の実現のための計画の作成や実施、実施の検証にまで拡がっている。それらを束ねるのが仕事のガバナンスであり、それを捉えようとするのが本書の「仕事のガバナンス」である。そこまで拡がった射程をどうまとめるかには厚みのある方法が必須である。それは後ほどふれるとして、ここではさほどなまでの拡がりをもつに至った仕事のガバナンスに対して相対するはずの報酬のガバナンスも相応の変化・拡大が必要になろう、この点である。少なくとも賃金論の射程では、月例賃金の制度や人事考課の検討では足りない。本書では社員等級の制度を経営者層の制度にまで拡げ、等級の賃率へのつなげかたや賞与の分配のありかたまでを丁寧に聞き取っている。仕事のガバナンスの拡がりにそって報酬のガバナンスの対象も拡げてきていると言ってよい。しかしまだ足りないだろう。会社一般の経営(仕事)にまで分析を拡げるにはストックオプションやその他金銭にかぎられない仕組みを含めて経営者層への処遇論が本格的に用意されねばならないだろう。

次に、仕事のガバナンス論に移り、その方法にふれたい。なにしろこれだけの組織と経営過程の分析であるから多くの分析軸がおかれている。もっとも大きな軸として仕事と報酬のガバナンスがあり、次いで市場の変動に対応するための組織や部門を横に貫く管理を観てゆく「横のガバナンス」と、市場や収益を確保し増すための組織を縦に貫く管理を観る「縦のガバナンス」がおかれる。横のガバナンスは「適応のガバナンス」、縦のガバナンスは「改善のガバナンス」とも銘打たれている。さらに縦のガバナンスには、「事業軸」と「地域軸」がある。事業軸とは、P社伝統の事業部の組織と機能を指す。おもに本社のマーケティング部門、商品開発、製造拠点からなる。地域軸とは、おもに販売部門を指し、本社、地域統括会社、国別販社と連なる。

これら以外にも分析軸はあり、事実の整理のなかでは多くの軸が張り巡らされ叙述は進んでいくので読みやすいとはいえない。たとえば原価企画は量産開始後の原価低減までを原価企画とするならば第1章の方法論の箇所では横のガバナンスに入っているが、終章では縦のガバナンスの部分で論じられるなど(pp.567—569)、原価低減も市場力の改善だから縦のガバナンスとされてもおかしくはないが、とまどう。読むさいにはページを進めながらページを遡り、確認しつつ読むことになる。しかしそれだけの話しである。さしたる問題ではない。分析軸のなかでとくに重視されているのは、縦のガバナンスである。これは具体的には事業プラン、とりわけ収益計画が能率やコスト計画として経営組織(むろん海外を含めて)のどのレベルまで降ろされているか、製造部門でいえば製造職場の直接労働者まで降りて行っているかを検証しようとする観点であり、国内の製造部門では現場主義で作業組織まで降ろされるのが通例であるのに対し、海外の生産拠点ではエンジニア・係長レベルにまでしか降りておらず(第4章マレージア、中国)、仕事のガバナンスのそのような差異が経営管理の類型の識別の目安として用いられることにつながっている。

この縦と横のガバナンスという軸に関して、ひとつ気が付いた点を指摘したい。たしかに上記のとおり縦のガバナンスはとりわけ重要である。コスト削減-収益確保に直結する部面に関わるからである。しかし収益の計画とその実施に関して関わりをもつのは、開発部門、開発と製造のインターフェイス、製造と部品供給会社のインターフェイス(原価企画の実施)、製造と販売のインターフェイスである。これらは横のガバナンスである。具体的には、事業軸(製造部門)の商品計画と収益計画が地域軸(国別販社)に降りていかず、というよりも国別の販売部門の計画と容易に折り合わず、製造計画と販売計画とが修正・実施され、販売部門の責任でODMの実施や、販売ルートの変更(従来の卸の回路をショートカットする)に踏み込むなどが行われていた(第5章、補論)。これらはいわば縦のガバナンスの挫折なのであり、結局は折り合うのであるが、それにしても、「事業軸内で完結されるタテのガバナンスを通じた原価企画や原価改善のみでは気付けなかった知の獲得と活用」であり、「新たなP社経営方式の実験」であると社内でも位置付けられているという(p.365)。

これはP社の経営管理の事業軸と地域軸の問題であり、本書の分析軸では縦と横の問題でもある。本質としては前者の問題であることは言うまでもない。時は市場のグローバル化の時代であり、前者は事業軸=製造部門と地域軸=販売部門との間の問題と読みかえることができる。販売は市場からの直接の入力を受ける。それゆえP社の経営過程の分析も、縦・横のガバナンスはともあれ、製造部門と販売部門との関係を軸として捉えられた像をえがきうるものに進むべきかもしれない。

そこで販売部門のガバナンスを本書が見出しているP社の諸事実をもとに評者の判断で類型化を試みてみたい。先の表1に書き込みふり返ることになる。表1はガバナンスのありかたをモデル日本、モデル(欧)米、海外生産拠点、海外販売拠点の4つの類型で捉えようとしたもので、同趣旨で示された本書の表(表終—2 p.583)に評者が手を入れ、海外販売拠点を付加したものである。先の要約部分で説明を保留にしていた海外販売拠点の欄を説明し、販売部門のガバナンスの特徴を浮き出させてみたい。表1には、説明概念として労働アーキテクチャが挿入されているが、その定義は要約部分でふれた。同表の表側に置かれた説明概念の関係性は以下のとおりである。仕事のガバナンスは報酬のガバナンスにサポートされる位置にある、すなわち仕事のガバナンスは報酬のガバナンスのありかたに一定の要請を及ぼす関係にある。労働のアーキテクチャは仕事遂行上の分業関係を意味するから仕事のガバナンスのありかたと整合性を保つよう形つくられる(pp.583—584)。

「海外販売拠点」について。まず労働アーキテクチャは、「専門性の結合」となる。この言葉と見立ては本書(図終—2 p.574)から採った。海外販社の労働アーキテクチャについては、別な箇所にも言及があり「統合」もしくは「蝶つがい的接合」(前出)との見立ても示されている(p.589)が、評者としては「専門性の結合」を採用した。これら括弧内の用語は、本書が青木(2011)の用語をそのまま採用しているので、分りづらい。専門の結合だけ説明しておくと、それぞれの専門に分化した仕事グループが自律を保ちながら情報収集とそれにもとづく業務を進め、それぞれのグループが自身の管理者に統制され、管理者相互の調整や結合関係はあるというものである。例示としては、ソフトウェア開発のモジュールに分化した開発と統合の過程や、製剤開発の化学部門と物質科学部門などの分割作業と統合などを想起すればよい。青木はモジュール化や作業分割にカプセル化という用語も当てている(青木(2011)pp.40—41)。この自律したモジュールやカプセルを単位として業務を造形するというありかたは、販売部門の、各単位が立地する地域ごとの市場の情報や特性の把握にもとづいて事業計画を立案し実行する、そしてそれぞれが当初は干渉しあわないというありかたと相通ずる。これが海外販売拠点の労働アーキテクチャを専門性の結合と押さえる理由である。

次に、同拠点の報酬のガバナンスについては、職種別横断的労働市場にもとづく処遇体系に近いものとなる。この見立ては本書の販売部門の処遇への言及において示唆された見方でもある(p.589)。ただし販売部門としての職種別横断的労働市場がどこまで姿を現すかについては評者には判断材料がない。次に、この報酬の特徴が仕事のガバナンスにあたえる影響については、横断的労働市場の状況を反映するタイプの賃金であるから企業内の事情との相関は弱いはずである。また個人の成果ははっきりと出る一方で市場の波動を直に被る部門であるからそれをそのまま賃率に反映させづらい(インドネシア国別販社の社長を経験した方の証言。p.588)。それゆえ直截に生産のガバナンスを助ける報酬のガバナンスにはなりづらい。

次いで仕事のガバナンスについて。販売部門の仕事のガバナンスについては本書でも営業現場の実態がふれられるところがあまりないので、どう記述するかはむずかしい。ただし経営レベルからかぶせる仕事のガバナンス(縦のガバナンス)のありかたははっきりしている。販売部門も事業計画PDCAを現場に降ろそうとする形式は生産拠点と似ているが、その目標は異なる。生産拠点(事業部)は収益であり、販売拠点は売上げ・市場の確保である。もう一点、異なった観点から販売部門の仕事のガバナンスを評しておくと、上でふれたモジュール化した各市場内部での販売業務の遂行には重層的な会議体(4つの会議、第5章)の存在が重要でそれらによる情報の共有と営業策の案出が印象的であり、青木の用語で言えば「同化認知(認知共有)」がみられる。表1の当該欄に同化と記したゆえんである。

以上、「海外販売拠点」に特徴を記入してみた。このグローバル化のもとでの諸事実の観察においては、まずは大きな分析軸として販売部門をおき、そのなかに縦横のガバナンス、適応と改善のガバナンス、事業軸などの視点を置く整理法が試みられてもいいのかもしれない。

表1の全体に話しをもどす。本書でモデル(欧)米や海外生産拠点というガバナンスの類型が示されている意味は、現在変化しつつあるモデル日本の先行きをうらなうための補助線を提供したいという思いに発するのだと思う。たしかに内容からすれば、海外生産拠点で示された特徴はモデル日本とモデル(欧)米との間にあると考えられるし、また海外生産拠点は他ならぬP社のガバナンスが海外で変異したかたちなのだからモデル日本の先行きうらなうにはよい下敷きになると考えられる。他方、海外販売拠点のそれは、上記のとおり販売部門の先行きであり、モデル日本の先行きを示すものとは考えがたい。

モデル日本の先行きをどう考えるべきだろうか。表1にまとめたところでは、モデル日本は仕事のガバナンスは現場に深く浸透し、労働アーキテクチャは統合型(労働者間、管理者層と労働者間も協働的)で、報酬のガバナンスは仕事のガバナンスから自律的関係にあると特徴づけられている。この仕事のガバナンスと報酬のガバナンスとの関連の捉えかたには目を止めなければならない。元来は報酬のガバナンスは仕事のガバナンスを支えるかたちになっていた。P社ではたしかに仕事の目標値の達成度は個人レベルまで検証されているが、それを個人の処遇に正確に反映させることはもはや行っていない。なぜかと言えば、「仕事のガバナンスが全くもって職場風土として定着していて、わざわざ報酬のガバナンスでの補強を必要としない」。個人の達成度を正確に処遇に反映させることは計画値の「達成に有効でないからである」(p.584)。P社から抽象されたこの見方はモデル日本として一般化できるとされている。このような関係性に仕事のガバナンスと報酬のガバナンスとがなったのはいつの時期かは明示されていないが、おそらく2000年代の成果主義人事制度と2010年代の成果主義の洗練と年功的処遇の抜本的改革の時期を経るなかであろう。

問題は、そのような関係におかれた仕事と報酬のガバナンスが形づくる経営管理は持続可能なのだろうかということである。この両ガバナンスが相互に自律性を強めているという見方は現状認識としては妥当なのだろうと思う。ずいぶん前のこととなった年功秩序の時代も、職能資格制度に基づく能力主義の時代も、職場の労働編成、技能形成、処遇制度の間は程度の強弱はあるにしても相即不離の関係をたもち安定していた。両方のガバナンスがハサミの2つの刃のようにつながって機能していたといえよう。問題は報酬のガバナンスの背景を乏しくした仕事のガバナンスが安定するかである。それについては、上記の引用文にみる見方や「個々人の心からなる仕事のコミットメントを引き出す職場での親密なコミュニケーションとそれの基づく職務遂行を虚心なく評価すること」により立ち行くものとされている(p.584)。しかしこの点は容易に結論は出ないであろう。仕事のガバナンスが自律性を強めれば強めるだけ会社は前進するかもしれないが同時にバーンアウトする人材も増えてくるのではないか。現在のグローバル競争の時代においては、仕事のガバナンスから報酬のガバナンスへの要請ではなく、報酬のガバナンスから仕事のガバナンスに向けての規制・牽制が求められるのではないか。ところがP社で行われた2010年代の賃金制度の改革で導入された「ゾーン別昇降給制度」などは成果主義の仕上げと洗練であると本書ではどちらかといえば高く評価されているかに思えるが(pp.380—387、392—395)、評者には賃金抑制のテクニックに過ぎないと映り、仕事のありようから報酬のありようをますます離れたものにしている。頑張って働いてきた者もそうでない者も中位の水準に収斂してゆく賃金のありかたは現下の仕事のガバナンスのもとで働く労働者に得心をもたらすものとは思えない。仕事のガバナンスの背景に報酬のガバナンスが位置付くような方途を見出していかなければ双方のガバナンスを安定させる道筋は見えないかもしれないのである。そこにかすかに労働者組織、労使関係の果たす役割が見出せるかもしれない。

これで最後にする。本書を読み、労使関係研究を出自とする研究者の集合がかくも重厚な経営管理の業績を構築されたことには心底からの敬意を懐くととともに、ここまで労使関係から離れてしまったことにいささかの感慨の湧くのを覚えなくもなかったわけだが、最後に経営管理の不安や労使関係を垣間見ることになり、ここでこの書評を閉じることにしたい。

 

《文献》

青木昌彦(2011)『コーポレーションの進化多様性-集合認知・ガバナンス・制度-』(原著2010、谷口和弘訳)NTT出版

O.E.ウィリアムソン(1980)『市場と企業組織』(原著1975、浅沼萬里/岩崎晃訳)日本評論社

O.E.ウィリアムソン(2017)『ガバナンスの機構-経済組織の学際的研究-』(原著1996、石田光男/山田健介訳)ミネルヴァ書房

C.A.バートレット/S.ゴシャール(1990)『地球市場時代の企業戦略-トランスナショナル・マネジメントの構築-』(原著1989、吉原英樹監訳)日本経済新聞社

 

 

          表1 仕事と報酬のガバナンス モデル日本など  
  モデル日本 海外生産拠点 海外販売拠点 モデル(欧)米
仕事のガバナンス 全層に浸透
目標:収益
経営層・技術者層
まで浸透
目標:収益
重層的会議体による調整と情報共有
(同化)

目標:市場の拡大

経営層まで浸透
目標:収益
 
仕事のガバナンスから報酬のガバナンスへの要請 強くない 強い 弱い 弱い
労働のアーキテクチャ 統合 蝶つがい的接合 専門性の結合
営業現場の労働ア
ーキテクチャは不明 
専門性の結合
報酬のガバナンスの
特徴
仕事のガバナン
スからの相対的
自律
仕事のガバナンス
の補強
職種をベースとした流動的労働市場に基づく 専門職主義を反映し
た流動的労働市場
基づく

石田/上田『パナソニックのグローバル経営』

木村汎『プーチン 外交的考察』、青山弘之『ロシアとシリア ウクライナ侵攻の論理』

木村汎プーチン 外交的考察』藤原書店、2018年、693頁

 

青山弘之『ロシアとシリア-ウクライナ侵攻の論理』2022年、岩波書店、174+36頁

 

 

 

木村汎プーチン 外交的考察』2018年、藤原書店、693

 

ずいぶん大部の書物である。木村汎という人には、正論大賞の受賞や、人並み外れた著作の多さから、あまり良い印象をもっていなかった。ただしそれも著作を一冊も読まないままでの印象であったのだが。今回必要に迫られたこともあり、掲題著作を読んでみた。印象は変わった。

 この本は、木村のプーチン三部作の一冊であり、『プーチン 人間的考察』(2015年)、『プーチン 内政的考察』(2016年)と姉妹編をなす。分析は冷静で、厚みがあり、叙述は繰り返しが多いもののクリアである。内外の既存の研究への目配りも行き届いている。

 とくに、プーチン・ロシアのウクライナ政策、中国政策、中東政策の分析には示唆されるところが多い。なかでも、シリア問題の分析は、ロシアのシリア政策とウクライナ政策との交錯、さらにその交錯とトルコと西側諸国との絡みをとりあげており、貴重な分析となっている。現在のウクライナ戦争をめぐる国際政治の構図を考えるヒントを多く含んでいる。

 

 おもな章を紹介していこう。

 (第1章:主体)

今日のロシアの政治制度の基本をなすエリツイン憲法を概観し、大統領権限がどのように定められているかを見ている。実際の外交政策の決定は、安全保障会議が最高決定機関となっており、そこでは大統領の権限が圧倒的に強い。プーチンのもとでは、そうした機関決定ですらも形骸化しており、プーチンと同会議の一部メンバーでの決定となる場合が多い。しかも事案により呼ばれるメンバーが異なり、プーチン単独で決定されることも少なくない。

 ゴルバチョフエリツィンプーチンを対比して、それぞれの側近の置き方を比べてみている。ゴルバチョフは、インテリを置くことを好んだ。ヤコブレフやシュワルナゼがそうであった。エリツインは、周りに人を集めることを嫌った。スポットライトは己にあたるようにしたがったが、時には人も呼んだ。プーチンは、とくに外交では人を集めない。単独で決める。

 

 (第2章 装置)

外交の決定は、プーチン専制だとしても、その実施はプーチン自身がやるわけにはいかない。装置が必要である。装置としては、各国におかれる大使館・領事館が重要である。その最前線を担うべき大使館等のロシア人スタッフには旧KGB経験者が多く配置されている。要は、プーチンの覚えめでたき人材が配置され、はたらいているということだ。ちなみにKGBは、エリツィンのもとで分割されたが、プーチンのもとで再編強化された(FSB連邦保安庁)。

 長年プーチン外交を担う外相ラブロフについては、政策決定に関わることはとぼしく、あくまで忠実な歯車にすぎないとされる。

 

 (第3章、第4章 論理)

プーチン外交の基本はアメリカ一極体制に対抗すべく、ロシアのとりまきをつくることを第一としている。ロシア一極をつくるのはむずかしく、ロシアによる地域超大国圏の形成が目指されているとされる。BRICSG20上海協力機構(中国主導)に積極的に関わり、ロシア独自では「ユーラシア経済連合」の強化に力を入れている。

 

 ロシア外交の論理を考えるには9・11を逸するわけにはいかない。9・11はロシアをアメリカに寄せた。ロシアはそのときすでにチェチェンとの紛争を抱えており、対イスラムアメリカと協調する必要もあった。チェチェン侵攻へのアメリカからの非難を緩めるねらいもあった。経緯は複雑だが、アメリカとは、チェチェンへの攻撃の抑制と、軍拡のスローダウンの約束を交わした。ただしこの時ロシアは経済・財政とも深刻な危機におちいっており、外に勢力を向ける余力は乏しかったのであるが。

 潮目は、イラク戦争(2003年)を機に変わった。ロシアは反米の姿勢を強める。イラク戦争に反対したフランス、ドイツと語らい有志連合をつくり、反米の流れを強くしようとした。このあたりまでは合理的な外交を志向していた印象があるとしている。

 ところが、ほどなく旧ソ連圏でカラー革命と称される政変がつづいて起こる。木村によれば、これらは、生来「下からの反乱」を嫌うプーチンを刺激したとされる。

 ジョージアバラ革命 2003年

 ウクライナオレンジ革命 2004~5年

 キルギスチューリップ革命 2005年

 2010年 アラブの春

 これらをさかいに、「下からの反乱」・反抗へのプーチンの嫌悪と抑圧がロシア内政への異様なまでの統制へとつながってゆく。

 

 (第6章 武器輸出)

 いうまでもなくロシアは武器輸出国である。2000年の統計では輸出額は世界4位である。ちなみに国連常任理事国・5大国が世界武器輸出の70%を占めることは銘記されるべきであるとされる。

 

 中国への輸出。当初はロシアからの一方的輸出であったが、例によって中国は武器でもコピーの名人であり、模倣を警戒したロシアはしだいに中国への武器輸出を控えるようになっていた。ところが2014年のウクライナ危機により中国への再接近の必要が増し、最新鋭の戦闘機を売るようにもなっている。

 インドへの輸出。インドは世界最大の武器購入国であり、世界の全兵器輸入額の14.9%を占めている(2010-14年)。ロシアから言っても、武器輸出の30~40%はインドが占める。インドはまた一般の貿易でもロシアとの関係はかつてからたいへん濃い関係にある。

 

 ところが、ロシアの武器が中国・インドで大量にさばける時代はじょじょに去りつつある。そのこともあり、ロシアはいわゆる南の国への武器輸出を強化してきている。とくに注目されるのがインドネシアであり、東チモールをめぐる紛争に関わってアメリカとの関係が悪化したインドネシアは、その間にロシアからの武器の輸出を拡大してきている。マレーシアも似た状況にある。

 イランへは、当初ロシアはアメリカとの約束で武器輸出は控えていたが、2007年頃から多種の武器を売り始めている。

 

 しかしながら、近年はそのようなロシアの圏の形成も、ロシア製の武器の性能や価格面での優位性が薄らぎつつあり、思い通りにいかなくなっている。

 

(第8章 EEU ユーラシア経済連合)

 2012年大統領に返り咲いたプーチンが打ち上げたのが“ユーラシア連合”だった。具現化したのはEEUユーラシア経済連合の形成である。これはミニ・ソ連邦をめざしたものとされるが、いまだにロシア、ベラルーシカザフスタンキルギスタジキスタンの参加にとどまり。思い通りにはなっていない。基本は関税同盟を軸とした経済連合でしかなく、この5か国のGDPを総計してもEUの五分の一、中国の三分の一にも満たない。

 このプーチンのユーラシア構想を、アレクサンドル・ドゥーギンのユーラシア主義に擬する向きもあるが、それは経済連携を出るものではなく、またユーラシアにまでまたがる国家群の地政学上の連携にすぎず、ある種の思想やイデオロギーのふ卵器となるような内実を備えるにはいたっていない。

 

(第9章 ハイブリッド戦争)

 この章のテーマは対ウクライナ政策である。タイトルが“ハイブリッド”戦争となっているのはいま一つよくわかない。ともあれ、2014年のクリミア併合以降のロシアのウクライナ戦略をあつかっている。

 プーチンウクライナ戦略については、東部2州(ルハンシク州、ドネツク州)のロシア占領地域に宣言された2つの国、ルガンスク人民共和国ドネツク民共和国をどうするかが焦点であった。それについて考えられた選択肢は、3つあったとされる。①これらノボロシアといわれる地域をロシアに併合する、②ノボロシアで住民投票を実施し①の下準備とする。③ノボロシアを独立させる。木村の見立ては、これら3つともプーチンの頭には上らなかったとされる。①の侵略はロシア経済が耐えられない。②はクリミアと当地は異なる。当地域にはクリミアほどロシア系はいない。③独立させれば、同じ構図にあるチェチェンなどの独立派を刺激する。ロシアはこれら3つはとりえない。結局、ウクライナをロシアの西側に向けての緩衝地帯とする。具体的には、ノボロシアには独立は認めず自治権を与えるかたちとし、西側に向くウクライナ西部=キエフへのトゲとしての役割を果たさせる。そのようなノボロシアとなるよう長期戦を構える。長期になるほどロシアの思惑にちかいものとなる。これが、プーチンウクライナ戦略だとする。

 木村の上記の見立ては、今日(2022年)からみれば半ばはずれた。現にロシアそのものがノボロシアに侵攻したのである。しかしながら、ウクライナ戦争の状況を鑑みると、長引けばロシアの考えた線に落ち着くだろうという木村の見立てが不気味なほどあたっていると考えられなくもない。

 

(第10章、第11章 中国、中国リスク

 資源大国ロシアは、中国にも天然ガスのパイプを設置し、ガスを売ろうとしてきた。2014年には一応の、ロシアからの直通パイプによる中国への天然ガスの供給に関わる契約が締結された。そこにいたるまでで10年を要した。これについては、ヨーロッパに供給しているガス価を吊り上げたいというロシアの思惑がはたらいていた。クリミア危機後はその構想はより現実味を帯びたが、中国としてもロシアの足もとを見るところがあり、できれば原油を買い叩きたいとの思惑も透けている。そうじてロシアが劣勢であるとする。

 中国は中国で、一帯一路戦略を進めようとしている。これと、ロシアのEEUユーラシア経済連合とは交差し、競合する恐れがある。中央アジアが草刈り場となる恐れもあるとしている。

 

 中露の間にはそれにもまして、深刻な問題が潜んでいる。ロシアのシベリア、極東の開発をめぐる問題である。ロシアにとって、当地の開発は長年の懸案である。しかしソ連時代を含めて歴代の政権で、それがちゃんとできた政権はないといってよい。プーチンとて例外ではない。シベリア・極東は経済・社会開発ではいよいよ抜き差しならない段階に至っている。人口流失によりもはや開発は危機的状況におかれているといってよい。その空隙を、とくに極東地域では中国人の出稼ぎ、流入で埋めている。中国人はロシア人よりも熱心であり、いいものも悪いものも持ち込んでくると言われる。ロシア誌のなかには、「極東はもはや中国なしには生き延びえないだろう。そしてロシアのものではなくなるだろう」という記事もみられるという。

 

 この2つ章の中国論は、ウクライナ侵攻後の中国のロシアへの姿勢をみるさいのヒントを多くふくんでいる。

 

(第13章 ブレクジット)

 ブレクジットはEUの弱体化だと捉えるならば、今のロシアにとっては都合のいいことだとみられるが、木村はかならずしもそうは考えない。ロシアの原油の輸出の88%、天然ガスの70%がEUに向けられ、EU天然ガスと石油の輸入の40%程度がロシアからである。一般製品に関してもロシア製品の輸出高の45%をEUが占める。ヨーロッパとロシアは切っても切れない関係にある。関係の悪化したクリミア併合後でも、プーチンサンクトペテルブルク経済フォーラムを開催し、そこで、「ロシアのEEUとEUがつながればこれほど強力で素晴らしいものはない」とリップサービスを行った(2016年)。

 ことほどさようにプーチンにとってはEUとの関係は重要である。EUが安定していることがロシアの安定にもつながるとの見方は、少なくとも今回のウクライナ侵攻の前まではプーチンの頭の中にあったと思われる。裏を返せば、そのことは今回のウクライナ侵攻後のドイツをはじめとするEU諸国の対ロシア政策・制裁がこれほど厳しいものとなるとはプーチンも読み切れていなかったことを暗示しているかもしれない。

 

(第14章、15章 中東1、中東2)

 この両章が私にとってもっとも印象にのこった部分といえるかもしれない。

  〈*以下のこの両章の紹介は、本書の出版(2018年)後の展開も織り交ぜており、また評者の予備知識を交えてあり、内容の忠実な紹介とはなって

いないことを断っておく〉

 2011年のアラブの春をさかいとするシリアのアサド政権の強圧的内政の展開は国際的耳目を集め、国連も武力介入を決議するくらいであった(2013年後半)。プーチン・ロシアはその決議に反対の意を示した。その理由は、シリアとロシアの関係が密であるからとは必ずしもいえない。ロシアにとってシリアは武器の輸出対象国であったが、その占める割合は小さく、ロシアの国連での高踏的姿勢を説明する根拠にはならない。木村は、このシリア問題へのロシアの態度にこそ、プーチンの「下からへの反抗」を嫌悪する性向の発露がみられるとする。すなわち、IS Islamic Stateなどによる下からの反乱に悩むアサド・シリア政府へのプーチンなりのサポートであったとみている。

 

 プーチン・ロシアは結局、2015年9月には自らシリア国内への空爆を開始することになるのであるが、そこに至るまでのアサド政府と米英諸国との国際協議へのプーチンによる仲介はあざやかであった。2011年当時、米オバマ政権は、化学兵器の使用をガマンの限界と明示してのシリアへの不介入を基本としていた。それを受けてプーチンはアサドに化学兵器の不使用を約束させていたのである。有効期間は長くはなかったがその点ではプーチン政治は評価できる。

 2015年のロシアのシリア空爆の開始については、本書には詳細な説明はない。ロシア政治に関しては次のような影響があったされる。ロシアはこの時期はノボロシアをめぐるウクライナ問題でも出口を探っている時期であり、またロシアの国内経済も停滞気味であった。そんななかシリアへの空爆プーチンの支持率を劇的に上昇させた。クリミア併合の時でさえ政府支持率は80%程度であったのに対して、シリア空爆時の支持率は90%に達した。国内政治の延長に国際政治があると考えるプーチンの発想に合致した事態であった。

 そのことがロシアをしてシリア問題へのイニシアティブを握らせることへの強い誘因となった。ちょうどシリア問題を挟んで反対の位置に坐るはずのアメリカは、トランプ政権であり、たしかにトランプはアサドが化学兵器を使ったとされる2017年4月にシリアに空爆を加え、介入の気配を見せたが、結局はそれっきりであり、イニシアティブはロシアに降りた。

そうした経緯のなか、ISなどへの掃討が一段落した2020年以降は、ロシアの国際政治面でのステイタスの維持にシリアを梃子としようとするプーチンの戦略が模索されるようになってくる。①ロシアもシリアから撤退プログラムに入る。②アメリカも同様であるべきだ。③ロシア主導でシリア和平を進める。③ロシアはシリアの軍事施設を利用し、経済権益を維持する。

 シリア問題に関しては、上記のようにプーチンの勝利に近い構造ができたと言ってよい。EUもシリア難民問題を抱える以上、ロシアの出方を無視できないようになっている。そのことが波及して、ウクライナへのロシアの取り組みにも、意見を言いづらくなる面があったとも言えなくない。

 

 トルコとロシアの関係について。トルコの存在がシリア問題、ひいてはウクライナ問題もより複雑なものにする要因となっている。

 もともとロシア・トルコ関係ほど戦火を交えた歴史を有する関係もまれである。さらにトルコはNATO加盟国であること、大量に発生しているシリアからのからの難民のヨーロッパへの流入の調節弁にあたる国であること、などがトルコの存在感を重くしている。 

 トルコはクリミア併合のさいは各国によるロシア制裁には距離を置いたものの、ロシアの策動は容認できないとした。その後のロシアとトルコはシリアへの対応をめぐって対立する。ロシアは上述したようなシリア政治のイニシアティブを握るべく努力をしようとする一方で、トルコはシリアと長い国境を接する地政学上の要請からしばしばそれに背反する。そして今日ではそのロシア・トルコ関係はウクライナ戦争への両国の位置取り(とくに黒海での戦闘や穀物輸出、ロシア・ウクライナ間の調停など)にも少なからず影響することになる。

 トルコ・ロシア間を考えるさいの要点は、先のトルコの地政学的位置、自立を求めるクルド民族へのトルコによる弾圧、シリア・アサド政権へのロシアによるテコ入れ、クルドとアサド政権の連携、アサド政権とISとの闘いなどが絡み合って輻輳を極めている。本書の刊行後、アサド政権によるISの掃討はいったんは成功したわけだが、その後もくすぶっている。単純に言えば、ロシア・アサド政権・クルドの連合と、反アサド勢力とトルコおよび西側との対立となるが、単純ではない。とくにトルコの出方と位置取りはそうである。

 ロシアは例によって資源を元手に働きかける戦略を駆使しようとして、トルコへの天然ガスの直接供給ルートの建設「トルコストリーム」構想をちらつかせている(*)。他方で、両国には紛争含み事案もこと欠かない。2015年11月には国内でのロシアの機の飛行に怒ったトルコが戦闘機を撃墜しプーチンが激怒し一触即発の状況に陥った。その時は2016年8月にエルドアンがロシアを訪問し一応の手打ちを行い、「スルタンとツアーの会談」と称されたことなどもある。いずれにしても、このようなロシア・トルコ関係は関連諸国の政治状況に大きく影響する。とくにどの局面でも関わりを有することの多いトルコの出方はきわめて大事である。

 (*)現在この天然ガスルートはすでに開通している。

 

(注記)この木村著の紹介は7月中頃執筆した。

 

 

 

青山弘之『ロシアとシリア-ウクライナ侵攻の論理』2022年、岩波書店、174+36

 

 この本は数少ないシリアの専門家によるシリア内戦と今年勃発したウクライナ戦争に関する研究書である。前半は、シリア内戦の研究である。その歴史的背景と現状を丁寧に解説しており、この内戦がいかに複雑なものであるかを教えてくれる。中心にシリア政府軍と反政府諸派が位置するものの、それを大国であるロシア、トルコ、有志連合(アメリカ、イギリス、フランスなど)にアルカイダ系、クルド武装組織などが入り乱れ、シリアという場所で大国と諸組織のさながら代理戦争進行している様子が描かれている。

 本書の後半は、シリア内戦とウクライナ戦争の連動関係の分析にあてられている。残念ながら、この後半の叙述は、必ずしもすっきりしておらず、実証面でも厚みにかける印象が残る。

 全体としての著者の主張は、ウクライナを第二のシリアにしてはならないということ

であり、その問題の要の位置にあたる論点がシリア内戦とウクライナ戦争の連動性の分析にあるという構造に本書はなっている。

 「ウクライナを第二のシリアにしてはならない」という主張には賛成する。たしかに内戦に大国が介入して、混迷を極めつつある点からすれば、ウクライナもすでにシリア化していると言えなくもない。しかし、シリアとウクライナとでは、地政学上の位置が異なる。シリアほどウクライナは元来諸勢力の通り道にあるとはいえない。ウクライナ戦争はロシアが侵攻したという単純な事実が太宗を占める。ウクライナ戦争の問題の解きほぐし方はシリアのそれとは角度を変えてよいのではないか。

 第二の論点の、シリア内戦とウクライナ戦争の連動性に関しては、本書は、詰めが甘い。本書でその連動性として論じられているのは、ロシアやトルコが介在し、シリアの兵士がウクライナに兵士や傭兵(ロシア側としても、ウクライナ側としても)送られている、送られようとしている。連動性として指摘されているのはこれがほぼすべてある。本書の執筆時点では、そのような兵士や傭兵はまだ数も少なく、少なくとも戦況を左右するような要素にはまったくなっていない。この連動性という論点には、たいへん重要である。しかし本書ではもっと厚みのある論点の提示と展開、および実証が求められているのではないか。

オデッサ・ファイル

いつかは読もうと思ってた。フォーサイスオデッサ・ファイル』を読んだ。

言うまでもなく、ウクライナ戦争を機にである。恥ずかしながら、このオデッサウクライナオデッサ(オデーサ)ではない。このことを読むまでは知らなかった。あの戦艦ポチョムキンオデッサの階段オデッサではない。Organisation Der Ehemaligen SS- Angehörigen の頭文字ODESSAなのだ。このODESSAはナチスのSS親衛隊の生き残りの敗戦後の逃亡のための秘密組織だ。SSは有名だが、とくにユダヤ人等の抹殺を主たる任務とした。

この本はドキュメントではなく小説だ。ミステリー小説スパイ小説としては、出色だと思った。ともかく面白かった。それなりの事実も込められてるんだと思う。この種の小説にはよくある細部へのこだわりもかなりのもので、とくに自動車の電装部品の叙述は細を穿つ。場面の展開は速く、厚みもある。映画もあるそうだが、書物のほうがずっと面白いだろうと思う。

舞台は、ラトビアのリガとハンブルクミュンヘンなどのドイツの街である。

 

重工業における生産管理の戦後史を考える一冊

 上田修『生産職場の戦後史-戦後日本における重工業の発展と技術者・勤労担当者の取り組み-』 

                                   

                    0.                 

 戦後日本の産業発展を象徴するのは自動車産業と電機産業であろう。そしてそれらの先蹤を告げたのは造船業と鉄鋼業である。本書は、造船業と鉄鋼業に焦点を当て、その生産力と競争力をもたらした管理の仕組みを明らかにすることを目的とする。

 本書の主たる編別構成は以下のとおりである。

  序章 問題関心・課題・対象

 第一部 生産に流れをつくる-造船業における多量生産体制の形成と生産設計

  第1章 工数統制から生産設計へ

  第2章 相生における改革

第二部 従業員として組織する-石川島重工における従業員制度の再編問題

第3章 勤労体制の整備と従業員制度の再編-資格制度改正問題 

第4章 職長制度の導入-現場管理制度の再編

第三部 生産に自己改善的契機を組み込む-八幡製鉄における管理方式の展開と計画値管理

第5章 標準値の形成と戸畑管理方式

第6章 君津管理方式の形成と計画値管理

結語

 

                  1.

 序章では関連学説のレヴューを行っている。戦後の労働・労使関係研究を振り返り、1970年代までの研究は労働市場に主眼が置かれ、職場の問題に関心が薄く、1980年代の生産システムや熟練の研究では職場に関心が向いたものの管理のありかたには研究が及ばなかったと指摘している。それらを受けて本書では製造業の管理のありかたの解明が主題となることを告げている。

 第1章では、戦後間もない時期の造船業をリードしたNBC呉の技術変化と工程編成の革新、生産技術の先進性を明らかにしている。呉海軍工廠の流れをくむNBC呉は、戦中に始まる工廠での鋲接工法から溶接工法への移行、ブロック建造法の導入を受け継ぎ、戦後には生産設計(製造の流れに沿った工程の編成)の採用、実績による管理から計画値による管理への移行を志向し、その後の造船業の生産管理の基を提供した。これらが明らかにされている。

 第2章は、1960年代までの播磨造船(相生)の技術変化と管理をとりあげる。播磨造船は戦中から呉工廠との技術・管理方式の共有関係が深く、また戦後造船業のモデルの一つとも目される石川島重工と企業合同する(1960年)という歴史的事実から推して、造船業の技術と管理の発展の結節点をなす存在であるとされる。播磨造船は戦後初の全溶接船を建造するくらい技術面でも管理のありかたにおいても革新性に富み、生産設計を採用し、職場編成や職場区分においても「職区」という考えをうち出し、職区を単位に工員上がりの現場監督者を「職長」として配置するという職場管理と人材形成の新たなありかたを提示した。ところが職員と工員との間の序列の組みかたや職長と学卒管理者との分担関係に混乱が生じ後の課題をのこすことになった。それはその後石川島重工の課題として受け継がれることになる。

 

                 2.

 第二部は第3章と第4章からなり、第一部でみた造船業における技術変化と職場編成の変化が、同じく造船業の石川島重工の職場管理にどのようなかたちで影響したかを分析している。

 第3章は石川島における従業員の序列制度(資格制度)をとりあげる。同造船所では人事労務管理の立案を担う勤労課が組織として整備され、勤労課は戦後労務管理の命題の一つであった工・職の身分制の解消と当時見込まれた生産増に見合う労働力の確保、それを支える処遇制度の考案を託された。立案過程の当初は、従業員序列(資格制度)と職場の役割・分業制度と処遇制度の三つを強く連動させる方向が打ち出され、1950年の案では工・職を差のない同一のランクに位置づける職階制と職階給制度が考えられた。ところがそれはラジカルさ故に実効性に疑問符が付され挫折する。それを受け、労働組合の意見などを容れ、上記三要素の連動性を緩めることになる。そして1950年代初頭に実行案となったのは、工・職の序列区分を一定程度残しつつ、工員層の階層数を少なくし工員の昇進を容易にすることにより工員の意欲を引き出す方向性であった。それは当初案からはかなり離れたものとなり、またそののち世のなかに一般化する資格制度とは異なるものであったとされる。

 第4章は石川島の職長制度をとりあげる。同所の職長制度は上記の1950年代初頭の諸制度と同じ時期に設けられた。ところが上記の制度が熟さなかったこともあり実際の職長候補には単純にベテラン工員が格付けされることが多く、職長制度の実はあがらなかった。結局、職長制度が機能するのは、新制高校の卒業生が適齢期に達することを見越して整えられた職長向け層別教育が浸透する1960年頃を待たねばならなかったとしている。

 

                 3.

 第三部は対象を鉄鋼業に移す。第二部で観た管理が比較的広い意味での管理であったのに対して、第三部の管理は原価や利益の維持に直接関わる数値による管理に焦点がしぼられる。対象となるのは八幡製鉄であり、同社は新規の製鉄所の建設を機に管理方式を革新するという歴史をもっており、本製鉄所(八幡)の実績値による管理から八幡製鉄所戸畑製造所の標準値による管理へ、さらに君津製鉄所の標準値による管理へと管理の方式は進化したとされる。

 第5章は戸畑製造所(1958年開設)をとりあげる。その管理のありかたは戸畑式管理と呼ばれるが、鉄鋼生産の製造と管理が全社-製鉄所-工場-工程からなるとするなら、戸畑よりも前の実績値による管理とは、現場の生産管理の情報が工場レベルまでしか行き来せず、全社・製鉄所は下からあがってきた情報を調整するという段階にとどまっていた。それに対して戸畑方式とは、ラインとスタッフ部門を切り分け、製鉄所レベルにおかれるスタッフ部門に生産管理情報を集約し、さらに工場(長)=課長から指揮命令を受ける現場職制としての「作業長」を新たに配置し、現場と工場とを連結させる体制をとったことを指す。生産管理の標準は課長の意思をもとに調整・決定された値が用いられることになった。しかし当初は作業長に人材を得られず造船業に似た状況であった。現場の作業集団の核となる世代の交代とそれら(作業長候補者)に対する層別教育が整備される1960年代前半になり作業長による管理は実質化したとされる。

 第6章の対象である君津製鉄所は1968年の稼働である。君津では集約される生産管理情報は原価にとどまらず歩留り、設備稼働率、作業率などに拡がり、それらは全社-製鉄所-工場-工程の各レベルをコンピュータを介して行き来し、それらの目標とされる数値は上部から計画値として承認されておろされてくる仕組みがつくられた。計画値を受ける工場・工程は実行責任を負うとともにスタッフ的要員も配置され、計画値と実績値とに差がある場合は各レベルに当事者を集める会議体がおかれ対応策が話し合われ、そこに工程の成員間で行われる改善活動、QC-JK活動の成果も加味してゆく仕組みがつくられた(1970年代)。稠密な生産管理の仕組みと合議に基づく実行責任の分有の体制が利益の創出の仕組みとしてビルトインされた。さらに1990年代に向けてはAOLというコンピュータシステムが構築され、全行程の製造情報と生産管理のオンライン化が進んだ。

 

               4.論評

 本書の論評にうつることにする。本書は戦後の生産職場の展開を造船業に目を据え、工程の編成原理の革新とそれにともなう現場の作業員組織の変更を明らかにし、現場の組織を束ねるべくあらたに創設された監督者が養成され配置される様相を描き、次に目を鉄鋼業に転じ、同じく作業組織の刷新と新たな監督者の配置が行われ、それを基に徐々に現場から製鉄所・会社中央をカヴァーする生産管理体制が構築され、とくに管理の重点が原価や歩留り・稼働率などの数値による情報の集約とその利用に移され、企業の最終目的である利益を取り出すための仕組みがつくられる様相が端的に描かれている。叙述の流れは、くりかえしや行きつ戻りつが多くスムーズであるとは言いがたいが、実証された内容はクリアーである。

 そのような実証された中身を考えると、「労働研究において管理問題を取り入れる」(p.500)、「日本企業の国際競争力を理解する」(p.25)とした本書の所期の目的は果たされたと言ってよいであろう。

 第3章では造船業の資格制度(従業員の序列制度)が取りあげられる。当初の実証上の問題関心は、戦中までの工員と職員との身分的秩序が戦後の社会変化のなかで工・職一本のフラットな社員秩序に編成し直される様相を観るというものであったが、結果は、工・職の区分を一定ていど残しつつ、新たな任務を帯びた現場監督者が配置され、その監督者の存在がその序列の上下のバランサーとしてはたらいたことが職場を効率化し安定化するには大きかったという経過を見いだしている。叙述では、勤労専門の部署が資格制度としてどのような従業員の階梯を考案したか、階梯の数をいくつにしようとしたかなどに紙幅を割いているものの、資格制度の制度設計やその実行よりも現場の従業員の学歴構造の変化(戦後に入社した新制高卒者の中堅化)という社会的要因や企業内施策としては教育訓練体系の改編などが新たな資格制度を機能させるには重要であったとされている(第4章)。このように当初の仮説にそった実証結果が得られたわけではないが、職場管理の変化とその安定化の背景にあった要因が摘出された。そのことを評価しておきたい。そうした要因を見い出したことが、第5章の鉄鋼業の現場組織の管理者の創設の実証につながってもいる。

 

 次にとりあげたいのは、本書の対象とした二つの産業における生産職場の監督者の労使関係上の位置づけである。現場管理のキーマンとされる造船業の職長、鉄鋼業の作業長は、本書で観た戦後の職場の生産管理の進化のなかで同等の重要性をもって制度化された職位であり役割である。であるにもかかわらず、職長は労働組合員籍を残し、作業長は組合員籍を外すとされ、両者には労使関係上の位置づけにおいて大きな相違がある。このように両産業で位置づけを変えさせたものはなにか。造船業よりも鉄鋼業のそれのほうが課長との距離がちかく、監督者としての権限が大きいように思われるが、それによるのか。また、石川島では職長を組合員からはずすことについては労使関係の状況を反映し見送られたと指摘されている(p.321)ものの、それも卒然として挟み込まれた文字数にして1行分の言及に過ぎない。このことから石川島では経営が職長を非組にしたかったことは想像できるが、労使の間でどのようなやり取りがなされたかなどには関説されていない。鉄鋼の作業長については、非組とされたことに関しての直接の説明はないが、造船業の職長の制度化が戦後の混乱期であったのに対し鉄鋼業の作業長のそれは朝鮮戦争特需の増産期にあたり労使関係の状況が異なっていた(pp.496—497)との対比がなされている。しかし既存の研究では¹⁾作業長制度の創設の労使協議では当初組合は作業長の非組化には反対であり、協議は難航したとされているのである。いずれにしても、この問題にはより突っ込んだ説明が欲しかった。

  1)兵藤 釗「職場の労使関係と労働組合

 (清水慎三編著『戦後労働組合運動史論』日本評論社、1982年)所収

  

 いま少しこの問題に言及しておくと、一般に戦後における製造業の現場の監督者はどちらかといえば、組合籍を残すかたちになっている部門が多いと思われる。電機産業や自動車産業ではそうである。技術や管理、労使関係上の知見が豊富な本書の文脈のなかで監督者層の位置づけについての説明が念入りになされていたなら、製造業の監督者のそのような位置づけがなぜ一般化したかについて、その背景を考えるヒントとなったように思われる。

 

 最後に本書における管理史の研究と労使関係研究の関連について論評したい。本書は「労働研究において管理問題を取り入れること」に力を入れるとされ、序章ではその大半を労使関係研究のレヴューに当てている。このことから考えて労使関係の研究に管理の問題をとり込み、位置づけたいのだと評者は思った。著者は、労働研究に管理問題を、としており労使関係研究に、とはしていないので、そこには一定の留保をしているのかも知らないが、やはり本書の管理の研究がどこかで労使関係研究と直接にリンクする糸口や構図が示されるのだと予測するのは不自然ではない。ところが、評者の読解力不足をおそれるけれども、読了してもどこに糸口が布置されているのか、見えてこなかったと言わざるをえない。たしかに管理史のなかに労使関係事項をとり込むのは容易ではない。だからこそ一部(人事管理、賃金管理、時間管理など)をのぞけば管理をふくむ労働研究が乏しかったわけである。まして本書のように管理といっても原価・利益創出のための数値管理に主眼がおかれるのであれば、なおのことそうであるのはよくわかる。しかし、労使関係への言及が少なすぎる。労使関係という術語が形式的に過ぎるのならば、経営が何らかの施策をおこなおうとした際組合や労働者に説明したか、しなかったか、したとすれば組合はどう反応したかなどにもっとふれてほしかった。拾い出しても、コンピュータ導入への組合の姿勢(第6章)、造船業の職長制度の立案過程への組合の発言くらいにとどまるのである。職長制度や鉄鋼業の作業長制度へのそのような側面からの究明がなされていれば、仕事管理(能率管理、労働時間管理、要員管理など)への労使の姿勢に接近でき、管理と労使関係研究をつなぐ糸口を覗くことができたのではないかと思われるが、いかがであろうか。

御茶の水書房、2020年12月、526頁、定価8000円+税)

40年も積読にしていた明六政変の本

 

毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書

 41年間、積読にしていた毛利敏彦『明治六年政変』を読んだ。

 いつかは読もうと思いながら…。面白かった。学会でどんな評価が下されてるかは知らないけども、私の頭にある通説はくつがえされた。岩倉具視使節団は目的も不明確で一年半もの間無為に米欧を漫遊していた、その帰国後のいわゆる明六政変は内政派(大久保)と征韓派(西郷)の決裂ではない、使節団漫遊期の留守政府こそがその後の日本の社会の重要な枠組み(学制、司法制度など)を作った。

 その枠組み作りに目覚ましく活躍したのが、佐賀藩出身の江藤新平だった。明六は、言ってみれば、そのまま行けば江藤らのイニシアチブで政界が進んでしまうのを嫌った大久保・伊藤博文らにより仕掛けられた転覆劇だった。江藤はその5か月後には佐賀で斬首される。

 こんな内容の本であったこともあり、思わず家を飛び出し江藤新平の生誕地に自転車を走らせた。

 江藤の生地は、意識して探さなければまず気がつくことはないようなところにある。佐賀でも、大隈の生地などは佐賀城の堀にほど近いところにあるのだが。最下層の士族であった江藤の家はまったく異なる。今回ばかりはちゃんと調べて始めてたどりついた。

 最後の写真は、長崎街道の佐賀城下に入る西端にある橋。このちかくに江藤の生家はある。敷地は今は人手に渡っていて、小さい碑がひっそりと建つだけである。

長崎街道が城下に入る西端にある橋(江藤の生家にほど近い)